春のなごり

あたふたとすごした3月から、ぼーっとしたままに4月を迎えました。3月29日の満月は、西行法師のあまりに有名な歌のとおり、サクラの盛りのなかで輝き、その日の昼ごろに懸案が片づいたこともあいまって、本当に美しく見惚れるほどでした。

今年のサクラの開花は記録的に早かったようですが、葉桜になりはじめているとはいえ、住まいの近所ではまだ花も見えます。職場の近辺のオオシマザクラやソメイヨシノは盛りをすぎましたけれど、ベニユタカが咲き、ウコンとギョイコウはこれからでしょう。花の季節を楽しむのはまだまだです。風の3月から雨の4月へ、花の5月、薔薇の6月と、息吹を感じる季節がつづきます。散歩も背中を丸めたくなることはなくなり、外套を脱いで出かけられることでしょう。足もとには愉快な蓋を見つけたりできます。

よい季節となりました。

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母のお見送りをしました

わたくしごとです。本日に葬儀、出棺、火葬をすませ、母のお見送りがひとまずおわりました。

母は1月下旬に自宅で身体の不調をうったえたとのことです。すぐに近所のかかりつけの医院を受診したところ、今日にでも入院しなさい、という診断をうけ、5年前に股関節を人工関節にする手術をうけた病院に1月27日に入ると、その前日に妹から連絡をもらいました。アタシだけでなく、「年齢を考えるといちおうの覚悟も必要です」と医師から告げられた妹も、おそらくは本人さえも、いつかは退院して自宅にもどってくることを前提にしていたちがいありません。

COVID-19の感染防止のため、入院先では家族でさえ面会することはできず、看護師さん、ナースセンタを介しての荷物のやりとり、伝言がせいぜいのところでした。電話をかけて妹からようすを聞くたびに、食べることができていないとか、何もしないで寝ているだけとか、点滴で栄養をとっているだけとか、何かがちがうような、漠たる不安がひろがって2月をすごします。「どうしている」とたずねると「低いところで安定」とか、どうにもしようのない無力感がただよう状況でした。

「もう、よくなることはない」と診断され、リハビリというよりは療養をつづけながら終末期をむかえるための転院先をさがすことになったのが2月下旬です。アレの繁忙期にやばいかなでしたが、母はがんばってくれました。転院先のきまったのが2月末、転院の期日は3月1日、妹と母にとって義妹にあたる叔母がつきそってくれて、移動する車内と移った先の病室ではひさしぶりにことばをかわしたそうです。富士山のに見える部屋に入り、晴れ間を楽しみにしていたともあとか聞きました。

転院した翌日、3月2日の早朝5時41分、母は力尽きました。

妹から6時すこし前に電話をもらい、すぐにも実家にもどるつもりでした。でも、いろいろな連絡や準備、確認をしているうちに、結局のところ、到着した時刻は10時くらいでした。妹が葬儀業者をすでに手配してくれていましたし、叔母が近所の方々の相手をしてくれていました。すでにあれこれのことは進行中でしたから、あまり出しゃばることはありません。縁側のある、実家でいちばん大きな部屋に横たえられた母の遺体をゆっくりと拝めました。ふだんは化粧をまったくしなかったですが、唇にうっすらと紅をひかれて、まるで眠っているかのようでした。声をかけたらおきてくるのではないかとは、親族も、近所の方々も、おつきあいのあった方々も、同様に感じたことであったようです。

じつは父の命日を2週間後にひかえていました。21年前の3月の冷たい雨の日のことです。自宅で急に倒れた父を、今回の母が1か月ほどいた病院で看取りました。残念ながら母の死に目には遭えませんでした。実家に住んでいた/実家で生まれた祖父母、父、叔父はみなが先に逝っています。最後まで残って十分にみなさんの弔いにつとめた母を、どうかあたたかくむかえてあげてください。

かあさん、よくがんばりました。ありがとう。

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長幼の序

D院生のころの記憶ですが、東洋史のM院生といっしょに研究会へ向かい、地下鉄に乗っていました。車輌はわりと混んでいてすわる席はありません。完全に週休2日制になる以前の土曜日の午後早くはそういうものでした。乗換駅になってひとつの席が空きました。大都市とはいえ地方の電車のなかではたまにあることでしたが、だれもすわりません。無言のせめぎあいというか、時機を逸したというか。そこで連れのM院生さんがひと言、「栗田さん、長幼の序ですから、おかけください、どうぞ」と発して、無知なアタシは「え、それなに」と返したのでした。さすがに「おいしいの」とはつけてはいません(笑)。

中国史のかれには常識でしたが、孟子の五倫のひとつです。すべてを現代語風にした日本語版ウィキペディアの記述をあげると、

父子の親:父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
君臣の義:君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
夫婦の別:夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
長幼の序:年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
朋友の信:友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。

となっていました。長幼の序だけが相互的でない記述ですが、もちろん、年長者の側は年少者を慈しまねば秩序を成立させることはできないでしょう。

「それはやめてよ」とかれから意味を教わったあとにお願いした古い恥ずかしいできごとを思いだしたのは、このごろに80歳代のお二人の発言が話題となったからでした。発言じたいは弁解の余地のない差別ですし、撤回しても記録に、そして、人びとの記憶に残ります。当県の知事(70歳代)が「20年来の知りあい」と擁護していましたけれど、アタシの記憶にのこっているだけでも、2000年からこのかた、 「子どもを一人もつくらない女性を年とってから税金で面倒をみるのはおかしい」 「あの子、大事なときにはかならず転ぶんですよね(ソチ五輪のときの浅田真央選手にたいするもの)」 などの発言が物議を醸しました。 20年来、見逃してきたのでしょうか。それが「敬い、したがわなければならない」「幼」の役割でしょうか。

社会とは人と人とが交わるところのすべてです。社会の秩序は人と人との交わりのなかに成立しますから、片務的ではありません。「長」もまた「幼」にたいして役割があります。慈しむとは大切にすることであり、これもまた尊重、敬いにつながるはずです。片務的であるのは、別組織でありながら笑ってすませたJOCとか、記者会見のときに壁のようにうしろに立っている(派閥の?)お仲間たちだけで十分でしょう。ただ年長であるだけで、何もいわずにしたがう、何もいわせずにしたがわせるのは「長幼の序」というより、典型的な「老人支配」です。

年寄りの権力者はこわいですけれど、何かいわれたら、せめて「はぁ~、んあぁぁ…、すみません、最近ちょっと耳が遠くて」と叫びながら、にっこりとしていることにします。

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プレゼン二つ

昨日の1限「歴史学入門」と4限「国際言語文化入門」で学期末のプレゼンテーションをしてもらいました。1限のほうは相互評価付きです。お題は前者が「授業で得たことの実践」、後者が「推しの料理の紹介」、形式は前者がポスター、後者がマインドマップでした。

Zoom の画面共有でやってもよかったですが、あれはあれで味気ない展開になりがちです。ほかの人がせっかく精魂をこめてつくった(かもしれない、推定値)プレゼンテーションでも何の質問もコメントもなく、つぎつぎと交替ですすんでしまいます。90分で何人もやらねばならないので、こちらとしても時間管理によって集中力が削がれ、ま、いっか、になることもしばしばでした。

ふたつの授業ともふだんの授業はスライド動画を確認したあと、Slack 上でチャットのやりとりを主にしてきました。タイピングの速さは別として、文字のやりとりのほうが気楽にできる人たちです。ですので、通信料の節約も兼ねて、ファイルを Slack に登載してもらい、スレッドを立てて質問やコメントを入れてゆくスタイルをとった、すこし俯瞰のむずかしい発表会です。

多少の不安もあり、ファイルが面倒な形式のもの(たとえば、pages のファイルを Windows で直接に読むことはできません。iCloud 経由で変換する手間が要ります。)で登載した人もいましたけれど、それぞれがそれぞれに質疑応答して、スレッドにはおよそ人数分の発言が並びました。ふだんの慣れというか、発言できる雰囲気というか、やはり重要でした。

昨年度には4限のものは実食を兼ねたパーティで締めくくりました →「ラーメン本の講読のうちあげパーティ

いまは会食がゆるされない情勢ですからしかたがありません。1限のほうでも朝からお菓子を食べたことや「歴メシランチ」をしたこともありましたが、しかし、遠隔では無理です。とはいえ、何とか楽しく終われたのではないかと希望的観測をうちあげています。

履修者に救われる、というのがいまいだいているこころもちです。

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特別講義:近代の文字メディアにあらわれる死と霊

山梨大学から秋山麻実氏を講師としてお招きし、特別講義を開催します。これまで教育史、ジェンダー論、家族論を研究なさってきましたが、あらたに手がけているテーマである死生観と教育について語っていただきます。どなたでも聴講可能です。多くのみなさまのご参加をお待ちしております。

講 師: 秋山麻実(あきやま・あさみ)氏(山梨大学大学院総合研究部教育学域・教授)
日 時: 2021年1月28日(木)14時40分から16時10分まで
場 所: オンライン会議システム Zoom を利用した遠隔授業 


参加に必要な Zoom の情報にかんしましては、問いあわせ先のリンクでメールアドレス等をご確認の上、ご連絡ください。
フライアです → file20210128AkiyamaiFlyer.pdf

問いあわせ先:栗田和典(静岡県立大学国際関係学部)

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七日正月をすぎての新年の抱負

六日年越し、七日正月をすぎて、一か八かの賭けごとの日となりました。とりあえず、今年じゅうに還暦をむかえます。誓いのひとつでもたてておきましょう。

大前提は、自分にできることをする、です。当たり前のことですし、今までも結果的にはそのようになってきました。ただし、All's well that ends well のかけ声のもと、午前さまはおろか、徹夜で仕上げた仕事も多々ありましたし、突貫工事で最後までやったにもかかわらず、かたちになっていないものもあるという悲惨な経験すらもふくまれていないではありません。それをやめる。

COVID-19に揺れた昨年に気づきました。授業とわずかなあいまの休みにだけ可能な読書と思考にだけに集中し、あとは食うと寝るで毎日が終わりましたが、しかしながら、意外にも充実したた時間でした。一瞬、一瞬に自分にできるだけのことをやるしかない、やればよいという環境です。そして、できるだけのことはそれほど多くなかった。もっと大きいと思っていた容量(いわゆる「うつわ」です)は、せいぜいのところ、お猪口とは自嘲せぬまでも、カップ1/2くらいですかね。何とか基準協会とか、かんとか確認業務とか、なにそれ作業とか、うつわでないようです。

できることをやり、やりとおすことを2021年の抱負とします。

 

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一陽来復

 一 陽 来 復
 新年をむかえ、幸運に向かうことを願っております。
 春先から遠隔授業が一気に立ちあがり、ご多分にもれず、経験したことのない授業運営に右往左往しました。週に6日も職場にいた生活が一変し、まったく逆になり、ときには自宅から一歩も外へ出ない日もあるほどです。学部3年のころから大学で暮らしてきましたから、とまどいつつも新鮮な経験をしております。
 尚子は長年にわたってつとめてきた静岡駅前の戸田書店が閉店になり、ゆっくりしたあと、仕事をさがしはじめました。恭輔と一生は、それぞれに20歳代の後半を仕事と趣味にすごしています。ふたりに和典は「結婚したのはきみたちの年ごろだったよ」といつか言ってやるつもりです。
 本年も変わらぬご交誼のほど、よろしくお願い申しあげます。
 2021年1月
栗 田 和 典

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