楽しみな企画
今年の史学会大会の1日目(?)の企画は、シンポジウム「18世紀の秩序問題」です。革命と全体的な危機の17世紀にくらべて、相対的に安定・繁栄していた18世紀世界に同時に存在していた、習俗習慣の変化、社会秩序の動揺、都市改良、戦争などの問題をあつかい、専門の地域が異なる方々が報告、コメントします。くわしくはこちらをご覧ください。
「近世イングランドに警察はなかった」という神話がありますが、何らかのポリス機能なくして秩序維持(policing)が可能な社会はないです。職業的なポリスが1829年にロバト・ピールによって設立された首都警察(Metropolitan Police)の革新性を強調する見方が、神話をささえてきたように思います。ただ、1829年の時点でさえ、シティにはべつの警察組織がすでに存在していたのであり、ウェストミンスタにはこれまた独自の治安官(治安官とは、世帯主が輪番で選出され、1年間、無給で治安維持などの職務を負う制度です)がいたことは、林田さんやレノルヅの著作があきらかにしてきたとおりです。シティについていえば、犯罪者とりしまりにかかわる治安官の質的な変化は、17世紀末から18世紀はじめにかけてすでに確認できます。シティの辺境(といっても、シティの範囲はせまいですけど)にあたる区(ward)では、治安官に任命される層が地方からの人びとの流入によって相対的に薄くなりました。さらに、中央に位置する裕福な区にくらべて犯罪の件数が多く、治安官の負担は増大します。その結果、辺境区ではとくに治安官への任命を拒否する傾向がみられました。とはいっても、単純に拒否できるわけでなく、罰金を支払うか、代理を見つけなければなりませんでした。罰金も、結果的には職務を代行する人に支払われるので、ここでみられた現象は、いわば“俸給をもらう”治安官といえるでしょう。この代理制は腐敗の温床のようにみなされてきましたが、シティの各区の代理治安官について研究した John Beattie によれば、代理をひきうけた人びとは社会層からみると、本来の治安官になるべき層にくらべてやや低いところに位置しますが、かれらは何度も代理をひきうけることで職務に精通し、また、逮捕 → 裁判所への連行やという点では、通常の治安官よりもまじめにはたらいていました。さらには、特定の場所(処刑場など)の警備では、その機会ごとに賃金の支払われる治安官が雇用されていた点を考えると、こうした人びとを職業警察(のすくなくとも前形態)とみなしてもよいように思えます。おそらく、1690年代後半の犯罪の波への対処から、伝統的な制度が換骨奪胎されて、治安維持機能をはたしていたのです。
シンポジウムは、「治安・警察といった観点だけでなく」、よりひろいパースペクティヴで議論がおこなわれます。う〜ん、ワクワクしてきます。ゆかねばなりませんねぇ。
【授業】9月卒業希望者の卒業研究を受領。
【仕事】とりあえず、ひと区切り。
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Comments
こんばんは
素朴な質問なんですが、この臨時雇いの治安官さんは傭兵さんと考えてよいでしょうか?
現在、イラクでは、連合王国に本社がある民間警備会社の警備員と称する人々が多数活動しているようですが、伝統的な産業だったのかなとこの記事読んで思いました。
Posted by: 野良衛門 | Monday, August 01, 2005 23:04
野良衛門さま
いつもコメントをありがとうございます。「傭兵さん」をどのように定義するかにもよりますが、代理治安官も、臨時雇いで処刑場(シティの外にあります)の警備をする者も、地区の住民です。そして警棒以外に特別な武器をもっていませんし、一つの集団としてのまとまりがありません。ですので、イラクに派遣されている警備員とくらべるのは無理なように感じます。
Posted by: k2 | Tuesday, August 02, 2005 19:56
K2様 解説ありがとうございます。
地域住民のボランティア(危険を伴うから志願兵の意味の方ですね)なんですね。
Posted by: 野良衛門 | Wednesday, August 03, 2005 16:59