1日のちがいの判決
東京高裁と大阪高裁でそれぞれ、内閣総理大臣の靖国参拝をめぐる判決がくだされました。両方とも結果だけを見れば「控訴棄却」でしたが、認定された内容はまったく正反対ですし、あたえた影響もかなり異なります。政権政党人や行政府の長ががどのような持論を語るとしても(たとえば、「公人でも私人でもなく、人間○○としての参拝」とか、「発展の礎になった方への感謝の意」とか)、そういう立場にある人たちの靖国参拝はすべからく報道されるですから、権力的に一つの思想や歴史観を是とする行為に等しくなる、とあたしはみなしています。物心のついたころ、おそくとも中坊だった時分から、憲法違反だと思ってきました。大学生になって民科の流れをくむ研究会のメンバーとして勉強したから、は理由でないです。もうこれは、直感的にえらびとっていた立場でしょう。ですから、やっとあたしのまわりの世論に司法判断が追いついたという気分でもあります。昨夜の夕刊でこのニュースを知り、今朝の「はてなアンテナ」のチェックでわが指導教官がBBSでコメントなさっているのを拝読しました。ちょうど数日前に司法の独自性にかんする記事をどこかで読んだ記憶があり(最近はまったく記憶力が頼りになりません。典拠があやふやになってます)、2/3与党体制のなか、いまたたかえるのは司法だけか、と思っていたところでした。
それにしても、「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」、と公的に発言するとは……。たとえあなたが思っていらっしゃらなくても、この件はあなたが判断することではないはずですよ。
【授業】3512教員室の掃除。
【授業】ゼミの予定をメーリングリストで流す。
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