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楽しい卒論

2日前の水曜日、いろいろな方があたしの職場をおとずれました。授業がないので自分のことをする日にしたいですけど、こちとらの願いは誰もわかってくれないみたいです (;_;)

昼食をとっていると学生さんが2人、卒論について相談したいとやってきました。あたしのゼミ生ではありませんが、合同発表会でコメントしましたので、それなりの責任はあるかと思い、「ゼミがちゃうやろ」などと無下には追いかえさず、しばらく話をしました。Webcat の利用や卒論支援サイト(代筆サイトではありません)といった基本的なこともおつたえしました。こんなことも知らないのかい、などともいってません \(^^:;)...

会話のなかで何よりもビックリしてしまったのは、「ゼミの先生に『それはむずかしい』といわれたので、どうしたらいいですか」、とたずねられたときです。もう返事は一つしかありません。「え〜っ、先生にそーいわれたらやめちゃうの?」です。たしかに卒論といえども論文ですから、しっかりと問題を設定して本論で議論し、論理的に無理のない結論を導きだせるにこしたことはありません。いい卒論が書けるように精一杯の努力をしなければならないのは当然ですし、その手助けを教師はします。でも、たかが卒論、でもあります。玄人じみた手堅い論証よりも、ハチャメチャでも自分で考えて書いたもののほうが印象的だし、最終的に破綻してもかまわないのではないでしょうか。破綻していることを自覚して書いてさえいれば、そういう卒論を高く評価したいと思っています。

なにより、あたしじしんの卒論が結論にある最初の注で、「その意味でこの論文は破綻している」と書いてある代物です。はじめて、無制限に長い文章の書ける経験なのですから、それを充分に楽しんでほしい。そんなことを学生さんたちにはお話ししました。すこしでもはげましになっていれば幸いです。

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