Thief-taker と岡っ引き
ルイ・シェヴァリエ『三面記事の栄光と悲惨――近代フランスの犯罪・文学・ジャーナリズム』(白水社、2005年)を読んでいて、訳者の一人、小倉孝誠さんのお書きになった「解題 犯罪はどのように語られてきたか」まできました。そこで、つぎのようなくだりにでくわして、既視感をおぼえ、なつかしいような、時代錯誤のような、奇妙な印象にとまどっています。
フーコーの『監獄の誕生』によれば、19世紀初頭の3,40年間にフランスの司法装置は警察と非行性の繋がりを制度化したという。警察は犯罪を取り締まる一方で、それと共同して活動する権力装置になる。ヴィドック〔フランソワ。強盗、密輸、殺人未遂などの犯行をおかし、徒刑に処せられたが脱走をくりかえした。しかし、1812年にパリ警視庁で正規の刑事となる〕はこの歴史的プロセスをあざやかに証言する人物であり、「警察と非行性との直接的で制度的な結合」を例証しているのである。……犯罪者は誰にもまして犯罪の世界に通暁しているから、かつての犯罪者は有能な刑事になれるはずだ。『監獄の誕生』は修士論文のインスピレーションでした。しかし、いまはあまり読みかえしていません。ですので、司法装置と非行性との結合について、実証の面にしろ、議論・解釈の面にしろ、記憶はあいまいです。ここでは訳者の解題の引用の部分だけをとりあげたいのですが、「結合」がほんとうに19世紀前半のことであるとすれば、ロンドンのばあい、パリの100年先をいっていたようにも理解できてしまいます。というのも……、
名誉革命後の1692年、イングランド議会は強盗などの暴力をともなう所有権重犯罪の訴追促進のために、有罪判決1件につき、40ポンドの報酬金を設定します。これは17世紀のはじめから存在していた窃盗捕縛業者(thief-taker)を前提にし、かつそれを正当化する法律であったともいえます。Thief-taker は同時代の日本でいうところの岡っ引き、目明かしにあたる存在で、かつては犯罪者であった者もいて、いわゆる裏世界の事情につうじた人間です。18世紀に入ってこのビジネスを大規模に組織化したのが、ジョナサン・ワイルドでした。窃盗犯のボスであると同時に、窃盗捕縛業者のトップでもある。かれのもっともすぐれた伝記的な研究からことばを借りれば、Thief-taker General でありました。私的な利害が制定法という公的な権威によって裏打ちされる状態、これが18世紀はじめのロンドンで試行された治安維持プロジェクトに共通する特徴として指摘されています。
たしかに、スコットランドヤードのような制度的に明確な警察組織はありませんでしたので、警察と非行性との共犯関係を指摘するのは無理かもしれません。ただ、どのような時代、社会であれ、ポリスのない状態はありえませんから、たとえば、中央の議会、シティの参事会、区の法廷(wardmote)のような制度と thief-taker との共存はいってよいと思います。
このエントリは、刑罰にかかわる点もふくめて、しばらくしたら「つづき」を書く予定です。なにせ、10日に締切がありますので (^_^;)
【PC実習室運用】2006年度第1回委員会 14:00~14:50
【PC実習室運用】同上。議事録を作成し、メーリングリストへ流す。
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