欠如論?
日曜日の研究会のために、河村貞枝ほか(編)『イギリス近現代女性史研究入門』(青木書店、2006年)を整理しています。あたしの担当は教育関連の部分ですが、なんとなく+ぼんやりとした感想で、男にたいして女が欠けている部分を獲得してゆく物語なのかな、と思っています。もちろん、独特の存在であるガヴァネスについては、こうした感想はあたっていません。でも、「新しい女の子」論や高等教育はその色がでているような。
というのも、19世紀の教育について、労働者・民衆の世界から論じたものとの相違を感じるからです。もちろん、労働者教育の研究史にはかれら・かの女らが教育機会を獲得してゆく発展史的な視点のものもありますが、一方で、コミュニティのなかで機能していた私塾の喪失・民衆独自の教育の破砕という観点も存在しています(「おばさん塾(dame school)」)。女性史にはこういう観点は存在しえないでしょうか。家庭(あるいは母親)の教育機能がうしなわれる、というのは、歓迎されてしまう気がしますし、機会の拡大=善というのが概説・入門書ではおとしどころなのかもしれません。
ガヴァネスのような境界線上の存在を指摘することで、何がどのようにかわるか。ここらあたりに、突破口はあるように思うですが……。
【授業】前期末テスト「英語で読む英米文化入門」:10:40~12:10
【授業】同上。採点作業 → 成績評価。
【書類】科研費の経理を担当してくださっている産学連携スタッフの方から電話 → 対応。
※夏のロンドン行きの旅費計算が今年度の配分額をこえているという話だった。出張願いには上限を記入して、科研費関係の支払い依頼書をわたしたときには、「こまかい計算があるでしょうから、上限○○でおねがいします」と口頭でつたえたですが……。
【?】教員評価システムについて、コース世話人の先生から個人としての意見をたずねられる → 対応。
※評価したければどうぞ、という感じ。大学の教師はどのように評価されるべきかといえば、それは学生からと学界から、と結論はでているように思います。専門分野の異なる大学の教師の優秀さをはかる共通のものさしはありませんし、ものさしをきめたとたんに、きめた人に都合のよい人しかのこらなくなり、結果的にその職場は活力を喪失するでしょう。やりたければ、腹をくくってどうぞ。
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