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授業の改善

ファカルティ・ディヴェロプメント(faculty development)とは、「授業内容や教授法を改善し向上させるために、大学の教員が組織的にとりくむこと」を意味するらしいです。典拠のページによれば、英語を母語としている方さえも理解の困難な、「いわゆる学術隠語(アカデミック・ジャルゴン)である」とのこと、オイラのようなペーペーの教員がわかってなくてもゆるされると思います(ゆるされてほしい)。

ときどき講義モノの第1回目の授業で、過去の逸話を語ることがあります。そのうちの一つが、最低出席者数のこと。あらゆる授業でまともに出席をとらないオイラのばあい、何かの拍子で、あるいは授業がとてもつまらなくて、お客さんがすくない回があります。すくないならまだしも、空席のほうが多かったり、あるいは最後方にしか人がいないとか、という経験もあります。これまでのミニマム記録は、演習や特殊研究をのぞいて、はじめて授業(たしか、「西洋史概説」という科目名だったかな)をした名古屋短大でのふたりです。


ふたり ふたり ふたり……。

受講生100名超のうちのふたりですからね、さすがに落ちこみましたよ、あのときは。両サイドの最後列に一人ずつでしたから。

それいらい、授業でこころがけていることが一つあります。できるだけ具体的なところから出発する、です。もちろん、マルクス主義だとか、フェミやジェンダだとか、想像の共同体やつくられた伝統だとか、劣等複合だとか、社民や多文化主義なんてことも最後にはでてくるですけれど、それをできるだけだれでも入手できる材料からやる、ということです。受講生のみなさんにもオイラの思考の経路をたどってほしいので、材料をぶんぶんと配ります(ウェブサイトやブログが普及したことで、ネットを介して資料やレジュメをあらかじめ呈示できるのは、予習とおおざっぱな見取り図をえがけるという点で、非常に助かっています)。そのうえでマイクをもって教室をまわり、「では、街頭インタヴューです」と称して、感想やら印象やら意見やら答えやらをひきだし、教室で共有してすすんでゆきます。はしょるときもあって、オイラの話がズンズンとすすむことになりますが、それでも感触としては、自分のことばがもとめられる分、ひっぱっていけるような気がします。

将来構想のようなもの(「中期計画」という名称でしたか)で、「英語の授業をふやす」という項目が入ってます。レトリックも何もつかえなくなっちゃうのは、いかがなものでしょうか。オイラの語学力の問題といえば、そうなんですけど。ほかにも工夫できることはあるのではないでしょうか。


【教務?】昨日にひきつづき、地域言語の年度途中の変更を希望する(昨日とは別人の)学生に対応。

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