大事なこと……かも (^_^;)
雨降りの土曜日、職場までが遠かったです。まず、来週火曜日の伊豆の国市ゆきにそなえてガス・ステーションにたちより、ガソリン満タン、エンジン・オイル&エレメント交換、さらに、店員さんから汚れと減りを指摘されたラジエタ水&ラジエタ・キャップ交換、タイアのエアチェックなどをしてもらいました。つぎに、雑貨量販店へむかい、初詣での日にうばわれていらい持ちあわせていなかった傘を購入です。強い雨の日に傘がないのは、やはりつらいので。ところが1000円で買った傘をさしてRくんにもどりますと、GSの店員さんが泥よけに敷いていたシートを回収し忘れているのを発見。すぐさまGSへひきかえし、シートを返却しました。そしてゆっくりと職場へむかい、途中のミニストップで昼食を買いこみ、ようやく到着です。10時前に家を出たのが、もうお昼どきでした。
小1時間ほど黒デルくんで仕事をしたあと、部屋で食事をしているとノックの音。仕事はじめから2日しかたっていない、しかも土曜日におとずれるのは、さては卒論ジプシーか、と身構えつつ声をかえしたですが、顔をのぞかせたのは、卒論は卒論でも、毎年、主査・副査のコンビを組ませていただいているM先生でした。2人の卒論生の指導をなさっていたとのことです。
で、M先生のおっしゃるには、
「いやぁ、まいっちゃったよ。書けないねぇ。論文の書き方っていうか、わかってないねぇ。」とのこと。はたしてM先生の趣意を十全に理解していたか、さだかではありませんが、しかし、Mゼミをふくめ、学生さんについて思いあたるフシはありました。オイラのばあい、それは講義をしていて感じるノートのとり方です。
「ぼくがこう書いたら、というと、そのまま、そのとおりに書いてくるんだよね。」
「まじめで、よくできて、一所懸命なんだけど、つまって書けなくなっちゃうのね。」
すべてパワポを利用するようになって3年目になります。板書していたときもそうでしたけど、オイラの講義はかなり文字の量が多いです(それでもさすがに最近は、教師になりたてのころのように黒板を3回も消したりはしません)。学生さんはそれをきっちりとノートしています。もうそれはコピーでも見るかのよう……。講義レジュメと称して、内容の一部をけずったパワポの「アウトライン表示」を配付して、最低限のところ、これだけ理解してくれればよいと示しているにもかかわらず、きっちりノートをとる。一方で、雑談と前置きしたこと、板書せずに口頭でつたえたことはほとんどおぼえていません。さらには、「これは省略ね」とスライドをとばすと、さすがにあからさまに不満はいいませんが、「進行が速い」という表情がありあり(このごろは、こちらもすこし遠慮をして「もう、つぎのスライドへいっていいですか?」などとたずねたりします。じつにお恥ずかしい)。
授業は大声になったり、ポーズをきめたり、飛び道具をつかったりしながら、教師が身体全体で表現するものです。1回の授業でたった一つしか、主張したいことはないかもしれません。ときに各駅停車の鈍行で進行し、ときに「のぞみ」のように超特急でとばします。組み立てがあるし、脱線ももちろんあるでしょう。だから、まんべんなくすべてを記録するなど、意味のないことになります(そうしたいなら、出席しなくてもICレコーダをおいておけばよいのですし、教師も音声ファイルをウェブ配布すればすみます)。つまり、漫然と聞いても意味はないし、すべてを理解する必要は毛頭ありません。むしろ、決定的に重要なのは、感知して反応すること(B先生、Sさん、別の文脈でおつかいになった表現を拝借しました)、自分で理解の筋書きをつくること、語られたことを自分のことばで表現しなおすこと、何かを思いつくことです。思いつきや疑問は授業のポイントかもしれませんし、そうでないかもしれません。でも、それでよいと思います。授業を聞いた人それぞれが得るものなのですから。
オイラは、このごろの受講生のみなさんはおなじノートをつくっているかもしれない、と危惧しています。
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