流刑と投獄
いま、おそまきながら、Simon Devereaux, The making of the Penitentiary Act, 1775-1779, Historical Journal, xlii (1999) を読んでいます。この人、よく知られていることを別の角度から鋭くとらえなおしてくれるので、とても勉強になります。ちょっと前に読んだ、Old Bailey Sessional Papers についてのものや、P. Griffiths と共編の、Penal Practice (2004) とか、いろいろとおもしろいです。
論文の基本的なスタンスは、刑罰実践のなかで流刑と投獄は二者択一的なものではなく、刑罰の発想でも両立的に考えられていた、です。1775年のアメリカ独立革命/戦争の勃発で中断された流刑の代替として投獄、あるいは懲治監獄が構想されたのではありません。これは、1986年にすでに John Beattie, Crime and the Courts in England 1660-1800 が指摘していた、刑罰の多元的な状態の一つともいえましょう。さらに、独立戦争のさなかに各州奉行に回状がとどけられ、各州で未執行のままにおかれた流刑囚について、職業その他の報告がおこなわれましたが、その数、わずかに70人弱であったそうです。流刑がいかにロンドンに集中した刑罰であったかがわかります。ニューゲト監獄に投獄されていた流刑囚は、テムズ川の牢獄船(Hulk)へうつされ、浚渫作業にあたることになります。それでも、かれらは1年くらいで釈放になりますから、さほど深刻な違法行為を犯した者たちではなかったと想像されるわけです。じゃ、流刑っていったい何だったの (?。?)
ぼくのなかでは(ちゃんと勉強していないので)、1718年に成立した流刑は、ブリテンの各地から年間に数千単位の人間を北アメリカに送りこんだイメージがありました。あるいは、1779年の懲治監獄法は流刑体制の転換という決定的な立法行為であったという思いこみもありました。でも、これはちょっとちがう。
多元性を再確認しておかねばなりません。古いノートを開いてみましょう。
【会議】臨時教授会 13:30~13:50
【会議】教授会 14:00~15:50
【会議】研究科委員会 16:05~16:25
【会議】カリキュラム・入試改革委員会 16:40~18:00
【院教務】修了判定会議の日程について、学生室教務の方に確認。
【院教務】教授会用の資料を印刷。
↓ 曇り空なのに妙にくっきりとみえた富士山
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Comments
今日はどうもありがとうございました。
久々に近況報告ができてよかったです。
今日、塾のバイトでさっそくペリカン号を出動しました。
丸付けにもぴったりでした。
大事に使わせていただきます。
Posted by: ペリカンのオーナー | Wednesday, November 21, 2007 22:15
論文作成の時間を割いていただいて、こちらこそ、ありがとうございました。あのあと、なおさんがひょっこりと顔をだしました。
ペリカン号はガシガシつかってやってください。そういう使い方ができるところに、あいつのよさがあると思いますので。
Posted by: k2@自宅 | Thursday, November 22, 2007 00:38