卒論を書くのは誰
ココログのメインテナンスと出張で更新がとどこおりました。ちょうど、とくに話題もなかったですけど (/--)/
例年どおり、卒業論文の執筆にハッパをかける時期になりました。ゼミで4年生は、3年生とオイラから「あーだ、こーだ」といわれ、題目届の前の報告で「あーだ、こーだ」といわれ、さらに先日の中間発表会でも、ほかのゼミの先生から「あーだ、こーだ」といわれ、さらにドラフトと目次を要求されて朱入れをうけ、「あーだ、こーだ」といわれ(つづけ)てきたわけですけど、ここで誤解しないでください。
書くのは、ほかでもない自分です。
さらに、これも誤解しないでください。
自己満足のために書くのではありません。
卒業論文はもとより自慰行為などではなく、百科全書的に知識を増大させればよいのではなく、また、狭く範囲を限定して、形式だけ玄人じみたまねごとをすればよいわけでもありません。これまで勉強してきた知の体系にみずから貢献しようとすることで、いっそうの理解を深める、知的にスリリングな行為です。知の体系を成り立たせている思考方法を身につけ、探索の手続きを実践する機会でもあります。
わが社の卒業研究の単位は8単位ですが、半期講義科目の四つ分などとは思わないように。もっと重いものですよ。オイラや尚さんの卒業論文は20単位でしたが、それは背負いきれないくらいの重みがありました。それでも、いままでに書いた論文のなかで、もっとも楽しかったのは卒論です。どれだけ書いてもかまわないなんて、一生に何度もあるものじゃないですからね。
パトスはどこまでも熱く、ロゴスはどこまでも明晰な、そういう作品をもとめております \(>。<)/゛
本文とは無関係に、その1:美しき富士山を富士川鉄橋から望む。
本文とは無関係に、その2:青いライトアップをしたテレビ塔
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