あと半日
昨日の「北斎展」では、影まで描くリアルな色気とか、洋画風のひらがな落款、枠取り模様などにあてられて、終始、顔がほころんでいたようです。めずらしく図録まで買ってしまいました。ずっーと前後におられた老夫妻は、しきりに本物の風景かどうかを議論して楽しんでいらっしゃいましたが、まぁ、想像で描いてもいいじゃん、といったところでしょうか。
今日は13時から研究会です。この2日間は知りあいと連絡をとらず、軽やかに暮らせました。訳稿はすすみませんけど、翻訳とはいえ、何ヶ月も前に自分が書いたものを読みかえしていると、そのころの自分のドタバタぶり――いつもそうですけど。たまに「あたふたぶり」になったりして――がうかんできます。そう、結局のところ、自分にたいする笑みをとりもどす逃亡生活だったのかもしれません。
さて、一昨日から悩んでいたのは、つぎのような文です。
Laslett was reminding us of a relevant aspect of small-scale economic relations, even if the warmth could be of impotent revolt against abject dependency as often as it could be a warmth of mutual respect.
譲歩の従属節をふつうに「けれど」で訳すか、それとも、
ラスレットから想起されるのは、小さくまとまった経済関係がもっている当面の問題に関連した側面である。ぬくもりなるものが、惨めな従属状態への反抗を無力化しようと、たがいを尊敬しあうぬくもりになろうとも、どちらでもよい。
という感じで訳すか、です。
先は長いですねぇ。でも、先のあることじたいが、今はしあわせに感じられます。
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