オリンピック観戦
2000年のシドニーにつづいて2004年のアテネもロンドンですごしたがゆえに、ほとんど観戦することのなかったオリンピックですが、今年の北京は開幕が早いため、ロンドンへゆく前に観ようと思えば観ることができます。リアルタイムでおぼえているといえば、1972年のミュンヘンあたり、バレーボールの松平監督とか、マラソンの宇佐見選手とか、平泳ぎの田口選手や、体操の塚原選手(月面宙返り)とか、しっかり記憶していますし、「黒い9月」事件もありました。
オイラのオリンピック観戦の黄金時代は、早くもつぎのモントリオールだったように思います。マラソンはずっとラジオで聞いていましたし、なんといっても同年齢のコマネチ選手の活躍がすごかった。史上初の10点満点ですから。記憶している方は多くないかもしれませんが、ソ連のネリ・キム選手も10点満点を出していました。たしか、日本体操が団体できわどく優勝したとき、NHKアナウンサが「○○の目もうるんでいます」などという表現をしたものですから、こっちまでウルウル状態でした。
モスクワのときは病院に入ってました。十二指腸潰瘍での最初の入院です。ここから、ほとんど記憶のないオリンピックがはじまります。ロサンゼルスやソウルのときは、そもそも下宿にテレビがありませんでした。新聞紙面からマラソンの中山選手を応援していましたが、リアルタイムではないです。バルセロナは男女のマラソンの最後、モン・ジュイックの丘の場面だけは観ていました。女子の有森選手、男子の森下選手、ともにこの勝負どころでひきはなされたのでした。アトランタのときは、たぶん、なにかを観ていたのでしょうが、それよりもはるかに衝撃的な私事がその夏にはあったので、記憶がとんでいます。
そういう状態でシドニー、アテネときましたので、北京はどうでしょう。時差の点では問題ありませんが、とくに応援したい選手がいるわけではないです。上の息子は男女の卓球を観るでしょうし、下の息子は男女のバレーボール、尚さんは体操かな。オイラはこの夏、とくに体力的にきついと感じていますので、家族が観戦しているあいだ、ただひたすらに寝てすごすことでしょう。
アーモンドチョコレートを相手に食べさせる競技がほんとうにおこなわれるのなら、観てみたい気もしますが。
【書類】認証評価に学位記が必要との連絡あり。
※卒業証書のたぐいは、4度の引っ越しによってきれいさっぱりなくなっているため、学位証明書を卒業した大学にお願いしなければなりません。学位記など、あとあとのためにしっかりとっておけ、なんてだれもいってくれなかったです。
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