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Sarah Malcolm のこと

オイラがおもにつかう史料は『牧師の談』と題名を訳しているものです。ここでいう牧師とは、ロンドンにあったニューゲト監獄において禄をあたえられていた牧師(教誨師)のことであり、18世紀に入ってからの3代目の人物として、ジェイムズ・ガスリ(James Guthrie, 在職1725-46)なる男がいます。そして、かれが1733年3月に出版した『談』に登場するのが、セイラ・マルコム(Sarah Malcolm)という22歳の女です。

この女死刑囚は、3名の女(それぞれ、80歳、60歳、17歳)を殺害したかどで正式起訴され、有罪評決をうけて処刑されました。生業として洗濯女・雑役女をやっていた関係で、殺害された一人(80歳の老女)に雇われたことがあり、部屋のなかのどこに金目のものがあるかを見知っていたようです。ほかの2名の被害者は、老女の新旧の家事使用人であり、住みこみで同居していた者たちでした。

『談』の常として、基本的に語りの主体になっているのは、もちろん、説教をほどこすガスリ牧師です。セイラのほうの発言は、ごくたまに返答が直接話法で挿入されてはいるものの、ほとんどはかの女のようすを他者として見た描写になっており、また、処刑の場面をはじめとして、「はげしく泣いた」が多くでてきました。情緒がきわめて不安定で、怒と哀が突出しがちな若い女というイメージをつよく押しだしているかのようです。そうしたイメージは、ホゥガースもまた共有していたらしく、獄中のかの女を描いたものを油彩と版画にのこしていますが、気の強そうな表情をうかがうことができるでしょう。(その一方で、牧師の話は静かに聞いていたことがさりげなく挿入されていたりもします。これは事実かどうかは疑わしいですし、おそらく、教誨師としての業務報告の常套句のように思います。)

ところが、この女の印象は裁判記録を読むと一変することになります。この夏、かの女の尋問記録を読みましたが、そこではあまり印象が変わりませんでした。刑事裁判に熟練した市参事会員=治安判事であったサ・リチャド・ブロゥカスの尋問は、あっさりとセイラの自白だけが記されていました。ところが、そのブロゥカスも臨席していたはずの、オールド・ベイリでの裁判でかの女は、みずからの弁護人の役割を奮迅としてやってのけるのです。あるいは、探偵もかねていたといってもよいかもしれません。裁判ドラマさながらの展開を、『裁判録』からは読みとることができます。

1730年代のオールド・ベイリでは、一つの制度的な変化が確実に進行していました。それは、1690年代に検察側に導入された法律専門職が、被告人の側にも導入されつつあったものです。しかし、この点は、オールド・ベイリやひろくイギリスの司法制度について顕彰した小冊子類では、かならずしも明示的にあつかわれてはいません。良心にのみしたがう陪審とか、監獄にかよう女博愛主義者とか、正義の裁きと貧しき者の子どもの保護とか、そうした正義と威厳の表象はたくさんみかけるのですが……。

推定有罪から推定無罪へ、重犯罪にたいする厳格な対処から証拠と弁論による被告人の権利の配慮へ、そうした傾向のなかでローカルに生じた女の弁明(または戦い?)を描くはずだったですが、原稿が落ちそうな、うひー状態なので、ここへさわりだけ書いておきます \(^^:;)...

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