『牧師の談』の特徴――消滅のしかた
勉強のメモ書きです。
ロンドンのニューゲト監獄付き牧師が副業として作成し、業者によって出版された『牧師の談』は、1670年代からおよそ100年間つづきました。出版しても売れず、1770年代には姿を消すといってよいでしょう。Annales of Newgate や Bloody Registers のような、一種の集成は複数の版が出版されつづけますけれど、処刑がおこなわれるたびにつくられる準定期的な刊行物ではなくなっていました。
ここで重要なのは1770年代という時期です。おなじく1670年代からはじまり、姉妹ともいえる出版物『オールド・ベイリ裁判録』――じっさいに、18世紀になるまで両者は書式・形式が酷似しています――は、おなじ時期に、すべての裁判を掲載し、可能なかぎりの証言を収録するという方針を確立しました。シティの参事会から金銭的な援助がおこなわれ、市裁判官が恩赦の対象者を閣議へ報告するさいには実質上の裁判記録として採用されてもいます。つまり、一方は消滅、もう一方は公的刊行物へと発展という道をたどったわけです。
なぜか。
考えるべきこと。その1
「公開の裁き」という考え方があります。オールド・ベイリにおける裁判は、現在も公開されていますし、1580年代からそうでした。物理的に公開するのも重要ですが、出版物はより不特定多数の者たちに公開されるメディアです。「公開の裁き」を洗練した形式が『オールド・ベイリ裁判録』ということはできないでしょうか。
考えるべきこと。その2
新聞・雑誌のニュース価値は耳目をひく事件であることでしょう(それがすべてではないとしても)。ところが、『牧師の談』のとりあげる死刑囚は、きわめてありふれた人びとです。殺人犯は洗濯女であり、騒擾の主犯は醸造業者のまじめな徒弟でした。かれらは、若く、地方出身者が多く、飲酒や女遊びや安息日やぶりにはしりがちで、そしてワル仲間がいました。ウルトラマンのバルタン星人みたいに、突然に大怪獣が出現するのではなく、ショッカーの怪人のように、街角にふつうに暮らしていると出会う人びとなのです。犯罪者階級なるものの存在が問題視されるようになれば、「皆が犯罪者」を前提にはできなくなるかもしれません。
考えるべきこと。その3
公開処刑への関心の低下もまた同時期に生じています。文明的な身のこなし、ふるまいを身につけた民衆の登場は、犯罪者を別物とみなす思考と並行しているように思えます。
まだまだいろいろと宿題がありますねぇ。
【会議】教授会 13:30~15:30
【会議】研究科委員会 15:40~16:15
【会議】セクシュアル・ハラスメント防止啓発研修会 16:30~18:00
【会議】資料のあとしまつ。
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