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1783年のこと

ロンドンのタイバン処刑場で有罪者が死刑となった最後は、1783年11月のことです。ニューゲト監獄から刑場まで、4キロメートルあまりの市中の幹線道路を、死刑囚を乗せた無蓋の荷車や馬車が、数時間をかけてすすんでゆく行列が廃止され、1780年に改修された新装ニューゲトの前でおこなわれるようになったからでした。ニューゲトは改修直後の6月にゴードン騒擾で焼失しますので、じっさいに処刑の実施が可能になるのは再建の完了する1783年を待たねばなりませんでした。

なぜ、タイバン処刑場はとりやめになったでしょうか。

問題は市中の主要道路をふさぐ行列にあったようです。1760年代から70年代にかけて、旧ニューゲトをふくむ市門がとりこわされ、ロンドン橋の橋上建築物が撤去されたのも、大量の物流や人の移動のさまたげとなる障害物とみなされたという事情からでした。4キロメートルをふつうに歩けば1時間ほどでしたでしょうし、現在、かつての道にもっとも近いところを徒歩でいってもおなじくらいです。それが、いつ来るとも、いつすぎるともわからない行列で、全体で2時間以上も目抜きをふさいでしまうとすれば、市内交通と商取引にはたいへんな迷惑でしょう。

また、タイバン刑場付近(現在のマーブル・アーチ近辺)は、18世紀中に社会の上層の人びとの住宅地として開発が進行していました。そこでの処刑、あるいは死刑囚の練り行列が騒音やごみ処理、あるいは風評の点で問題をひきおこし、世紀前半から何度か、地域の住民が刑場を移動させる請願をシティ当局などに提出していました。都市の雅、あるいは文明化の進行、あるいは都市民としての礼節の変化といった、最近の都市史のあきらかにしている文化的な状況とも関係してくるでしょう。

さらには、移った先の問題もあります。なぜニューゲト前であったか。ニューゲト監獄前の空間とは、現在でいえば、中央刑事裁判所からラドゲト・ヒルへとくだってゆくところであり、シティの西端、ロンドンの中心部にあたります。タイバンのような都市の周縁にあったひらけた場所で、いくらでも人を収容できるようなところでなかったとはいえ、つめれば5000人は楽にいけるというロンドンとミドルセクス州の両奉行の見積りがあるように、相当に広い空間です。おまけに、交通の便でいえば人はタイバンに劣らずあつまりやすく、物流や人の移動からすればタイバンをはるかに上回っていたことさえ予想される場所です。さらに、密集する人びとは、物理的に接触しやすい分、騒ぎがおこりやすくなっていたとも思われます。そういう場所に、“あえて”刑場をうつした、ということには、やはり、治安維持体制にたいするシティ当局の自信とか、可動式の絞首台とか、窒息でなく頸椎損傷によるより迅速(より人道的)な死刑囚の死とか、考えるべきことがあるように思います。単純に公開性を下げる過程の一つではなかったでしょう(むしろ、公開性は上がっているとも考えられますから)。

『江戸とロンドン』でやりかけたことを、ちゃんと追究しないといけません。

6月26日の業務
【紀要編集】紀要の表紙・裏表紙について投稿者より変更の要請。
 ※そもそも、委員会に一任され、本来は投稿者が刊行前には知りえない表紙についてあれこれする要請の内容が適当なものであるかはさておき、授業の直前にその準備の邪魔をされるのはうれしいことではありません。
【紀要編集】同上。表紙・裏表紙のレイアウトに必要な情報に変更をくわえ、企画調整室の方へメール。
【紀要編集】同上。変更の案について、紀要編集委員にメールをおくり、意見をうかがう。
【紀要編集】掲載を申しこんださいの予定分量の2.5倍以上になってしまった投稿者に、分割掲載の検討を要請するメールを送付。
【授業】「ヨーロッパの風土と文化」10:40~12:10
【授業】Office Hours 16:20~17:50
【授業】「英語で読む英米文化入門」の講義用ファイルづくり。
【PC実習室運用】留学生の大学院生にたいする論文作成指導の授業で、学部実習室の利用申請に応対。
 ※大学院生の利用マナーが悪く、3年ほど院生の実習室を閉鎖していた経緯からとりあえず利用申請はご遠慮を願ったという返答はさておき、委員会のメンバーも知らず、自分がもっとも業務を理解していないこともわからず、くだらない上役発言をメーリスに載せられるのは精神衛生上、きわめてよろしくありません。
【教務のご隠居】「英米言語文化入門」の成績評価の持ち点を連絡してくださるように、現委員の先生に依頼。

6月27日の業務
【授業】3512教員室の掃除。

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