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August 2009

夏の夕暮れ、暮れてゆく夏

Img_0080

職場の最上階の踊り場から、高所恐怖症をこらえて撮りました o(T-T)o

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夏の抜け殻

20090828

残暑を感じる朝、職場の駐車場にて。

【授業】10月からくわわるゼミ生さんと面談。
【授業】「ヨーロッパの風土と文化」のレポートを受領 → メールによる提出者には受領の返信。
【授業】「英米文化論」のレポートを受領 → メールによる提出者には受領の返信。
【PC実習室運用】端末がフリーズした学生に対応。
【運営委員(院)】研究科入学者選抜実施副委員長から、出願者数などを記したメールを受信。
【運営委員(院)】同上。英米文化研究分野のメンバーに情報を転送。

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「世界の工場」

ふと思いつきましたので「つぶやき」にも書いてみたですが、「世界の工場」とはだれがはじめてつかったことばでしょうか。いまから30年以上も前、オイラが高校で世界史をならったころにはすでに教科書に掲載されていましたから――ちなみに、教科書は帝国書院のものでした――、きわめてポピュラなものでしょう。現行の教科書、世界史A・Bをあわせて20有余冊のほとんどにもつかわれていることばです。

ところがたいていの記述では、「『世界の工場』とよばれた」とか、「『世界の工場』の地位を確立した」とかあるのですが、いったいそれをどこのどなたがおっしゃったのかが書かれていません。注記もありません。「よばれた」というなら、ではいったいだれが「呼んだ」のかをチェックせずに教科書をつくっちゃってよいということはないはずですから、教授用資料には説明があるのでしょうか。うーん、あるんだったら見てみたい (・・)(。。)

手元にあった弘文堂の『歴史学事典』の総索引で捜してみたところ、「世界の工場」という語は独立のエントリではないものの、いくつかの語の説明には使われていました。しかし、残念ながら初出について説明はありませんでした。

これも手元にあった、OEDで workshop をひいたところ、

1838 Disraeli Sp. 15 Mar. in Hansard's Parl. Debates XLI. 939/2 To suppose that+the continent would suffer England to be the workshop for the world.
という記述を見つけましたが、厳格には一致しません。「世界の工場」はfor じゃなくて of です。

Google 検索をかけると、現代の中国にたいする表現がでてきてうっとうしくなりますが、「-中国」や「-china」ではずしても、なかなか初出にはいきあたりません。なかには、ウィリアム・スタンリ・ジェヴォンズ(William Stanley Jevons、1835-1882)をあげるものがみつかりましたけれど、ODNBでジェヴォンズをしらべてもでてきませんでした。マルクスなどは、はやくは1840年代の講演やエンゲルスとの書簡で「世界の工場(the workshop of the world)」の語をつかっているようです。OED にエントリがなく、それでいて広範な引用がおこなわれているところから考えますと、おそらくは、きわめて一般的なことばだった、としかいえないのかもしれません。自称というよりも、イギリスの工業力を見せつけられた他国民が羨望の感情からつけたあだ名のように直観していたのですがね。

「工場法」でもちいられる factory ではなく、「仕事場」も意味する workshop が「世界の工場」という表現でつかわれることを、恥ずかしながらはじめて知りました。やはり、毎日が勉強です。

8月26日の業務
【授業】「ヨーロッパの風土と文化」のレポートを受領。
【教務のご隠居】教授会提出用の資料の訂正を、学生室の方にメールで依頼。

8月27日の業務
【国際交流】調整室の方から電話。ニューカースル大学夏期語学研修参加記の依頼。
【国際交流】同上。参加記を依頼できそうなメンバーにメールを送信。
【紀要編集】3校出来。特別休暇中にやりとりをしてくださった副委員長の先生の部屋で受領。
【紀要編集】同上。表紙・裏表紙の校正 → 副委員長の先生に提出。
【紀要編集】今年度の第2号の執筆者募集につかうファイルを、副委員長の先生にメールで送付。
【?】お二人の先生から、会議への陪席の依頼 → 承諾。

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遅ればせながら、静岡地震のことなど

8月11日の地震にはおどろきました。退院して自宅で眠った最初の夜(というか、明け方)のことでしたし、ふだんは低血圧で寝起きの悪い上の息子がはね起きて、「なんじゃこりゃー」と叫んでいましたし、ふだんはおっとりとした下の息子が、「こっちへおいで」といったらふだんの数倍のすばやさで逃げてきたほどです。揺れがおさまったあとに家のなかを点検しますと、落ちたもの、うごいたもの、倒れたものが確認できました。発表のあった「震度6弱」または「震度5強」ほどの揺れかどうかはさておき――体感的には震度4くらい。幼稚園にあがる前に自宅の2階から逃げだした地震、中学校の教室で瓦が落ちてくる恐怖を味わった地震のほうが揺れも恐怖感も大きかった――、強い揺れがきたらいまの住まいはこうなるかもしれない、という警戒心をいだかせたのはたしかです。

職場の部屋に入ったのは、地震後、10日をすぎた時点でした。もちろん、発生した当日に事務の方にお願いして部屋の状況を確認してもらってはいました。デスクトップPCとその上のレーザプリンタ、冷蔵庫の上のコーヒーメイカ、大学院のころからつかっている大学生協の本棚ラック(2)などの落下あるいは横転を覚悟していましたけれど、確認のメールによれば、なんとほとんどがぶじな状態とのことでした。ラッキーと思いつつ先週の土曜日に部屋に入ったですが、それは短時間のこと、今週に入って職場復帰を果たし、本格的にいつもの仕事をしてみたところ、やはり、いくつかの違和感は拭えません。つまり、地震前後で多少ともモノが落下していた/うごいていたです。

◆落下物一覧
○10冊前後の本
二重に書架に並べていたもの。とくに、大学生協の本棚ラックにあったものは、二重にする余裕が奥行きにないところへ無理やりにおいていたため、ほとんどが落下したようです。確認をお願いした事務の方が一部をもどしておいてくださったので、10冊前後より多い可能性もあります。
○紅茶や砂糖などを入れておくポット
いくつかならんでいるもののうち、一つが落下の衝撃によって取っ手がこわれてしまいました。全体として、オイラが職場の部屋でこうむった物的な損害はこれだけのようです。
○CD数枚
書架の手前の空間に積んでおいた英語教材のみ。

◇うごいていたもの一覧
●物品棚
本来は2段を積みあげて設置する種類のものですが、かなり古かったために倒壊の不安に襲われ、ずいぶんと前から一つずつ別置してありました(正解でしたね)。そのうち、授業用のノートPCやプリンタのトナー、抜刷などを入れてあったほうが、微妙にうごいていました。もう一方は重心も低く、いただいた本をいれてあるもので、こちらは微動だにしなかったようです。感謝の意は地震などはものともしない (^_^)
●ブラウン管のテレビ
うごいたことがもっとも明瞭なのが、重心バランスが前にかたよりがちなブラウン管テレビです。のせてあった台が縦方向にもう少し短かったなら、おそらく落下していたでしょう。部屋に入って最初に気づいたのがこれでした。
●レターケース(2)
一つは台から落下しかけていました。重量は軽いものですから、落ちても被害はすくなかったように思います。
●書架の本
どれもすこしずつ、書棚の前のほうへうごいていました。もう少し揺れが長く、大きかったなら、かなりの数が落下していたものと思われます。書架のすべての段の本を奥まで押しこみました。さらに、今日は業者さんにお願いして、書架の固定の強化をしてもらうことにしました。

◎残された思案のしどころ
■ロッカーの上
重いものを上にもってゆくのはよくないとわかっていますけれど、季節もの=扇風機やストーブはどこにおいたらよいのかしらん。

今回の地震は、東海地震の本番にちゃんとそなえておくようにと、幸運の女神(fortuna)がプロデュースしてくださった予行演習のように思えました。その瞬間へのそなえをおこたるなという警告とうけとめたいです。亡くなった方もいたのですから、冗談めかして軽くかたづけるわけにはいきませんし、この練習の成果をしっかりといかしてゆかねばなりません。

8月24日の業務
【書類】総務室へ、人事記録を訂正して提出。
【運営(院)】学則改正案を研究分野所属の教員にメールへの添付ファイルで送付
【運営(院)】同上。メールボックスで印刷物を配付。

8月25日の業務
【授業】英米文化論のレポートを受領。

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不愉快だなぁ

不愉快だなぁ

妻さんと買い物にでかけたところ、Sストア前では、KY候補の演説集会中でした。音声はまだしも、選挙カーが駐車場を占拠しているのは、そして、買い物客が駐車の順番待ちをしているのを無視しているのは、やはりNGだよね。一般車(?)のなかにも関係者のものがあるでしょうけど、ここまであけすけなのも無神経と思います。

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来週から復帰します

食っちゃ寝、朝寝坊、昼寝と推理小説三昧、朝夕の散歩と、退院していらい、ナマケモノの生活をおくってまいりましたが、本日、退院後の検査(CT)と診察をうけ、主治医/担当医の先生から「もう、職場にもどってだいじょうぶですよ」とお墨付きをいただきました。というわけで、来週の月曜日=8月24日より職場に復帰します。

とはいうものの、今日のCTをみせていただいたかぎり、右前頭部は筋肉がはれている状態がつづいていますし、メスのあとは“ざっくり、はっきり”という表現がちかいでしょう。会う人が逃げないようにサマーニット帽をかぶって出勤しますけれど、どうぞ、“無礼者”と不快に感じないでください。ましてや無礼うちなど ~~~~~(ノ≧ρ≦)ノいやじゃぁぁぁぁ

どぞ、よろしく <(_ _)>

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入院記(印象にのこっていること):病棟の個室

今日までの特別休暇中には、PC画面をじっと見つめたり、コンテンツをいじったりすることをできるだけ避けてきました。いろいろと忘れて解放されている時間を大事にしよう、と助言されたからです。このウェブログの更新が断続的になっているのは、そういう事情も手伝って、ただたんにPCにむかう気分になれないからですし、文章を書く気になれないからです。心配しないでくださいね(ってゆーか、まさか心配してませんよね\(^^:;)...マアマア)。

さて、ICUをでてCT検査をうけたあと、病棟へもどってからは、ふだんの生活の基本をゆっくりととりもどすことがテーマでした。

●食べる
 ICUの朝食は食欲がまったくわかなかったため、口にしなかったことはすでに書きました。病棟の個室へ入って配膳された昼食はメインがそうめんで、これならいけるかなと思って食べはじめたですが、半分で挫折しました。夕食も全粥食でしたけれど、これも半分で挫折 orz

 たしかに、ICUをでるころから、胃腸の機能はうごきはじめていました。おなかがごろごろと鳴ったり、おならもでていたのがその証拠です。ところが、口の開閉=あごの上げ下げをつかさどる筋肉の一部を手術のためにきられていましたので、口を開けるのが痛みをともなう重労働になり、食欲がさまたげられたようです。この状態は軽減されてきてはいるものの、現在も解消にいたっていません。さらに、何もせずにひたすら横になり、できるだけ眠っている段階でしたから、食べなくてもいいや、という気分になっていたのでしょう。

 それでも、術後2日目の朝食がパン食だったこともあってここで初の完食を達成し、それからは調子に乗って、その日の昼食で全粥食を、翌日の昼食からは常食をすべてのこさずに食べられるようになりました。口を開閉するとあごは依然として痛いままでしたから、バナナやスイカのような果物を食べるのは、ちょっとした決意が必要でしたけれど……。

●自力で立って、歩行する
 ベッド脇に自力で立ってみたのは個室の初日、昼食のあとです。尿をとる管もついていますし、点滴もつづいていたですけど、立てることはわかりました。ただし、そばに誰かにいてもらい、かつ点滴の台を杖がわりにするという条件つきです。その状態で5,6歩、足をうごかしてみたのが、そろそろあたりが暗くなりはじめたころ。窓のところまでいって外を眺めました。

 尿の管をぬいてもらい、室内歩行の許可を得たのが個室の2日目、病棟内歩行の許可は3日目です。看護師さんからは、「1日寝ているだけでも筋力はずいぶんと落ちちゃいますからね」といわれて、また、基本的に食っちゃ寝の状態はオイラとしても好きではなかったので、退院までずいぶんと歩いていました。室内歩行はベッドの落下防止用の柵につかまり、トイレのノブにつかまり、椅子や壁に手をついて、ゆっくりと慎重にうごいていたようです。病棟内の散歩もまた、最初のうちは手すりをすぐつかめるように、自分のリーチを計算していました。病室の出入り口のドアを横切るときなどは、人や機械がでてくるのではないか、とドキドキものでしたね。

歩けばおなかのうごきもよくなりますし、気分転換にもなります。微々たるものとはいえ、自分が復活しつつある実感も味わえます。看護師さんたちは、「栗田さん、今日も散歩ですか」と声をかけてくださって、はげましてくれました。もちろん、ふだんの生活なら歩くところには大きな起伏も小さなデコボコもありますし、風も陽の光も排気ガスもあります。それに対応する自信はまだなかったです。

●メール
 ケータイを開いてみたのは術後2日目、メールをうったのは3日目です。オイラのケータイには Gmail からPCメールが転送されてきますから、50通以上が着信していました。ただし、じっとケータイ画面を見つめるのがおっくうになっていましたから、受信したのはザッと表題だけを確認し、こちらからの送信も1日に1,2件にとどめていたです。送信した表題は、「生きのびられました」とか「生きています」とか、元気があるのかないのか、よくわからないものが多かったみたい。それでも、メールをおくりながら、そして、返信を受信しながら、はげましてくださった/はげましてくださる方々に感謝し、涙していたのですよ (T-T)

◆ ◆ ◆
病棟での最大の試練は、5月の検査入院のさいにも経験した、カテーテルを足のつけ根の動脈からいれての脳血管撮影です。手術の結果を確認するとともに、もう片方の動脈瘤の詳細を把握する検査でもありました。これで異常がなければ退院となるものですから、避けてとおることはできません。

検査じたいも、血栓ができやすいことや造影剤の副作用があること、あるいは前回のオイラは尿の管が入らなくてかなり痛い思いをしたことなど、かなりのおおごとです。さらに、検査後も、動脈に穴を開けるわけですから止血に細心の注意がはらわれます。担当医の先生による止血が15分、それから固定のためにテープが巻かれ、重しがのせられて病室にもどり1時間、さらに重しがとれても2時間はカテーテルをいれた側の足はうごかせません。止血がうまくいったことが確認されて、絆創膏を貼ってもらい、うごいてよいという許可をもらうまでは、点滴をうけながらじっと寝ているのみです。

オイラの検査は14時からはじまって30分ほどで終了し、止血 → テープと重し → 病室は15時くらいでした。したがって、最終的なチェックは18時すぎとでした。OKをいただいたあと、左側に寝返りをうとうとしましたけれど、腰と背中が痛んで1分ほどはうごけず、傍からみている人がいれば回転えび固めのような状態になっていたようです。


担当医の先生や看護師さんたちをはじめ、いろいろな方にいろいろなときにいろいろな方法で励まされて、生活の基本をとりもどしてゆくのがうれしい日々でした。毎日、欠かさずにおとずれてくれた尚さんには、多謝・深謝です。

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入院記(印象にのこっていること):ICUの一夜・追補

自分の身体が自分のいうことをきかない状態、というのを経験したのがICUの一夜でした。それがもっとも如実にあらわれたのは、緊急CT撮影でCT室へいってもどってくるまで、まったくこらえることができないくらいにつばを吐きたかったのと――じっさいにCT撮影中にも「ぺっ」と何回もしていた記憶があります――寒くて寒くて歯の根が合わない状態がつづいたことです。

My teeth chattered from cold.

手術をうけたのは7月のおわりですし、室内にどれだけ空調が効いていたとしても、歯の根があわないなど想像もつかない温度、時節です。それが、まるで零下の場所へ裸で放りだされたかのように、ずっとガチガチと音をたてている状態がおさまらなかったです。自分の身体が震えている理由がまったくわからなかったので、点滴針のささっていない右手を口元にあてて、ベッド脇の看護師さんに

これこれ、歯がガチガチいっているのはなぜ。

とたずねたところ、全身麻酔から身体がうごきを開始したばかりのところで、体温調整ができていない、という答えがかえってきました。つづいて、「寒いですか」ときかれましたので、「寒いと感じないけれどガチガチ鳴っているのは恐い」といったところ、身体をあたためるシートをかぶせてもらえることになり、しばらくのあいだ、真夏のさなかに暖房シートのお世話になったのです。このシートがいつにはずされたのか、記憶はまったくありません。身体が覚醒すれば必要なくなるものですから、看護師さんが体温をみてはずしてくださったのか、あるいは、自分でいらないと告げたかもしれません。

でも、とにかく歯の根があわない状態は恐怖でした。恐怖で歯の根があわない(My teech chattered with horror)ではなく、その状態そのものが自分の身体の不随意を示しているがゆえの恐怖でした。恐怖のあまり、「なんじゃ、こりゃぁ」と力んでしまう感覚ですね。

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いきたいな

18世紀人ですし、イギリスにいけばほぼかならずお世話になる英国図書館の生みの親の一人ですし、生誕350周年の記念シンポジウムは参加してみたいなぁ。授業とか、病気とかなければねぇ。

↓ C18-Studies というメーリングリストをまわってきた案内状です。一部の個人情報を削除して引用します。

Call for Papers: Sir Hans Sloane, The Greatest Physician-Naturalist of His Era

An International Conference Commemorating the 350th Anniversary of His Birth
To be held at the British Library
7-8 June 2010

The year 2010 marks the 350th anniversary of the birth of the physician Sir Hans Sloane (1660-1753). Well-known as one of the greatest collectors of his age, he was also President of the Royal Society and the Royal College of Physicians, the major patron of the Chelsea Physic Garden, a physician to Queen Anne, George I and George II, and had many other connections throughout British society, leaving his name to the prestigious Sloane Square in London. His enormous network of acquaintances and correspondents throughout the world established him as probably the single most influential British 'scientist' between Isaac Newton and Joseph Banks. After his death, Parliament purchased his collections, which laid the foundation for what are now three institutions: the British Library, British Museum, and Natural History Museum.

A project has been generously funded by the Wellcome Trust to electronically re-create the bulk of Sloane's voluminous but now dispersed library, led by Alison Walker with the assistance of Shauna Barrett and the direction of Prof Hal Cook. It is now online and being continuously updated at www.bl.uk/catalogues/sloane. The project's two host institutions, The British Library and The Wellcome Trust Centre for the History of Medicine at UCL, are sponsoring a two-day conference on Sloane and his collections.

We invite proposals on any aspect of the history and significance of Sloane and his activities, such as: his medical practice and career; his role in medical and scientific institutions; his travel and links to the West Indies; his botanical and zoological collecting; his ethnographic and antiquarian collecting; his prints, drawings and fine art; his books and manuscripts; his links to global trade networks across and beyond the British Empire. Papers on the development of the Sloane collections after his lifetime will also be considered. Preference will be given to studies that make use of the new online catalogue. Those attending the conference will be responsible for organising their own travel and accommodation.

Please send your proposal by no later than 15 December 2009, which should be no more than one page in length, to Lauren Cracknell at The Wellcome Trust Centre for the History of Medicine at UCL, 183 Euston Rd., London NW1 2BE,UK, or emailed to Lauren Cracknell. Inquiries may be directed to Hal Cook, via Lauren Cracknell, or to Alison Walker.

Submitted by Hal Cook, Professor and Director, Wellcome Trust Centre for the History of Medicine at UCL

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入院記(印象にのこっていること):ICUの一夜

自分がICU(Intensive Care Unit, 集中治療室)のようなところへ入るなど、想像したことさえありませんでした。じっさい、前日の説明でも、ICUがあいていなければ病棟の個室へもどってくるという話や、また、手術室からは全身麻酔からさめた状態でかえってくるという解説もあり、目覚めた場所がICUと気づくまでしばらくの時間を要しました。オイラはどうやら麻酔の効きやすい体質なのかもしれません。

●めざめて最初に……
◇聞こえたことば
 執刀医=主治医の先生の、「栗田さん、手術はおわりましたよ」の呼びかけでした。
◇浮かんだ光景(イメージ)
 上の息子が卓球の試合でみせたガッツポーズ。生きている、とわかって目頭が熱くなりました。
◇発したことば
 「つばを吐きたい」 \(^^:;)...
手術中は人工呼吸のための管が挿入されており、これをとりはずすと、入っていた異物を排出しようと、つばというか、痰というか、とにかく吐きだしたくなります。もうこれが不快でどうしようもないもので、結局のところ、ひと晩をつうじて苦しめられました。
おまけに、最初につばを吐こうとしてティシュに手を伸ばしたとき、妙な合いの手をいれられ、それへの拒絶を示すためにすこし急に首をふっってしまいました。それで、全体にクラクラ感がしてしまい、看護師さんや担当医の先生に反応できず、危険値シグナルをならす事態にも至りました。緊急でCT撮影をしたところ、問題なしという結論になって安心したですが、自分の身体にたいする違和感をこのときほどおそろしく思ったことはありません。

●眠らないICUでは眠れない。
ICUの看護師さんは交代制で、夜間はお一人が二人の患者を担当します。オイラの入っていたのは個室でなかったので、おとなりの方とはカーテン1枚で仕切られているだけでした。患者にはそれぞれに計器がつけられて、血圧や体温はもちろん、脈拍や酸素摂取量もディスプレイにうつしだされるしくみです。この数値が危険域に入ると、TVの医療ものドラマなどでも登場するあの危険値シグナルがひびくことになります。
おとなりとはカーテン1枚ですから、当然、おたがいのシグナル音は聞こえます。そして、どうもおとなりさんは痛みがつらいらしく、声をあげていたり、あるいはときに機器をはずしてしまったりしていました。そのたびに、シグナルが反応して看護師さんを呼びますから、なかなか眠ることができません。さらには、オイラには徐脈の傾向があるらしく、一再ならず、ようやく眠りに入りかけた瞬間に脈拍数の低下でシグナルを鳴らせてしまいました。

眠ろうとしただけなのに……。

さらに、右側の頭を切っており、そこから管がでていますから、基本的に、真上を向くか、左側頭部を下にするような寝方でした。この寝ている姿勢を変えるのも自力ではほとんどできず、そのたびに看護師さんのお世話になるです。2時間もおなじ姿勢でいますと、腰から背中にかけて痛みが襲ってくるので、看護師さん二人がかりで姿勢をかえてもらいます。眠れるはずがありません。

●びっくり
◇ポータブルのX線撮影機
 はじめてみました。ベッド脇におかれた複数の機器のあいだぬって撮影ポジションを確保する技師の方の熟練の技に感心するとともに、こういうところでX線をあびたり、ちょっと不自然に頭をうごかしたりしてだいじょうぶだろうかと不安をおぼえてもいました。技師の方のタバコの匂いもきつかったな (^_^;) 病院は敷地内全面禁煙ですがね。
◇朝食あり
 予想もしなかったことです。どうしますかとたずねられましたが、頭に管をさしたままでは起きあがりたくないし、どのみち食欲もまったくなかったので遠慮しました。でも、望んでいたら、どういう食べ方をしたのでしょうか。
◇ステイプラ
 頭にさされた管をぬいたあと、担当医の先生が傷を縫うのにつかったのは「ホチキス」と呼ばれる道具でした。糸を予想していたのに、ガッチャリ、という音がしたものですから、ドッキリしたしだいです。退院前の抜糸のときに針をみましたけれど、こんなものが頭に刺さっていたのか、です。


たったひと晩、お世話になっただけですけれど、ICUは戦場のように感じました。看護師さんが休まるヒマはないようです。そのぶん、手術の前日にICU病棟の説明をしてくださった看護師さんがベッド脇にいらっしゃって、

「ぶじにもどってこられてよかったですね」

とことばをかけてくれたのは、とてもうれしく感じました。生命はこういうところでまもられているのですね。

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入院記(印象にのこっていること):入院から手術まで

忘れないうちにと思って術後3日目くらいから「ほぼ日手帳」へ書きとめておいたことを、静養中の自宅ですこしふりかえってみます。病院の方々にとっては経験済みのことがらも多いことでしょうが、オイラにとってはすべてが未知のことがらでしたから、神経質になったときも、緊張しきったときも、知らずに脳天気なふるまいをしていたときもあるでしょう。そこはおゆるしください。

●忘れもの
10時の入院予定でしたので、9時40分に自宅前へタクシーにきてもらい、余裕をもって到着するはずでした。ところが、病院にちかづいて降車後にどこへいって何をするかを想像しておりますと、重要な忘れ物に気づいてしまったです。

しまった、保険証と診察券を忘れた……。

運転手さんにお願いして自宅にもどってもらい、診察券類をまとめて入れてあったカードケースごともって、ふたたび病院へと向かいました。自宅から病院がちかいこともあって、受付時刻には遅れずに到着できたのはよかったです。

いきなり、こういうまぬけなハプニングでスタートですよ……。


●説明、問診、承諾書
手術をしてくださる先生と担当医の先生はもちろんのこと、手術の前日はいろいろな説明をつぎつぎにうける時間でした。なにせ、ICUで必要なものを買いに売店へいっているあいだにも説明の方がいらっしゃって、会えなかったために資料をおいていかれたほどです。手術そのものの説明は前週の金曜日におえていたのにもかかわらず、夕食がすむまであわただしくすぎてゆきました。妙な不安にさいなまれるヒマさえもなかったのは、かえってよかったかもしれません。

病室に入って最初の担当は、5月の検査入院のときにも最初にきてくれた看護師さんでした。オイラのことをおぼえていてくださって、安心感が増しました。術後に担当してくれたときも、「ああ、○○さん、もどってこれました」と、お顔をみてうれしかったです。

昼食後には麻酔科の先生による説明がありました。全身麻酔などまったくの未経験ですから、どうなることやら、です。手術の説明にしろ、麻酔の説明にしろ、おっかない合併症などが記されていますけれど、手術を決意しているのですから、説明をうけて同意しないということはほとんどありえないのではないでしょうか。

ICUの看護師さんの説明では、手術後に必要になる物品を持参していないことがわかりました。T字帯というふんどしのような肌着です。さっそく病院地下の売店に購入しにいきましたが、その間に今度は手術室看護師の方がいらっしゃったようで、「お会いできませんでしたが、明日はよろしくお願いします」と書き置きがありました。

「お願いします」とおっしゃってもね……。

プリントは手術室に入ったあとにおこなわれることを一覧表にした説明書でした。読みながら、明日の自分がどういう経路をとって台に乗るのかを想像してみましたが、麻酔までのあいだ、手術室に好きな音楽が流せることをこのときはじめて知りました。CDがあれば、という但し書きに、入院前におしえてくださいよーとツッコミを入れたくなるのは、オイラだけではないでしょう。

●検査
前日の検査は、通常のCTと心電図、肺活量検査でした。肺活量はとてもきっちりと計測してもらい、最大量が5,700CCと「これはすばらしい」と称賛されました。たしか、高校時代もこれくらいの数値だった気がします。

でも、肺活量が大きいと何かよいことがあるでしょうか。

また、長時間にわたっておなじ姿勢で伏臥していると、足の静脈に血栓ができるため、手術ではきっちりとしたタイツをはくことになります。当日の朝、迎えにきてくだった病棟の看護師さん(この方も検査入院のときにお世話になりました。ストレッチャで検査室まで往復してくださった。)によれば、前日の計測ではMサイズが妥当と思われたようですが、じっさいにはいてみるとこれがユルユル。「足が細いですね」ってほめことばではないでしょうが、タイツのはき方がとても上手です、とはいってもらえました。

●手術室へ
手術室まで看護師さんの先導で歩いていきました。入室のとき、上の息子がこぶしをにぎってみせてくれました。卓球の試合のときのガッツポーズです。オイラもおなじポーズをかえして、あとは帽子をかぶって奥の手術室へさらに歩きます。前の投稿で書いたように、「ca ira(だいじょうぶ)」と唱えていました。いよいよ術台に乗ったとき、職場の方からいただいたメールにあった、「俎板の上の鯉」ということばが脳裏に浮かびました。麻酔科医の方の声が聞こえ、「麻酔の点滴を入れます」のあとは、あっという間に意識がなくなりました。

つぎに意識がもどってきたのは、ICUのベッドの上でした。

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退院します

退院します
1回目の手術はぶじに終了し、術後も順調に経過して、明日の月曜日に退院します。なんとか生きのびられました。

メールなどで、状況についてすでにおつたえした方もいらっしゃいます。“元気玉”をありがとうございました。

手術室が12号室でしたので、手術室の入り口からかなりくねくねと歩いたですが、その間はずっと、「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ca ira, ca ira」と唱えていました。小田中さん、ファイト!できましたよ (^^)/

20日までは医師からも自宅で静養するように診断書がでており、特別休暇も取得済みですので、業務日誌はお休みです。2回目のことも考えなきゃなりません。

盂蘭盆会でもありますから、しずかに考えるにはよい時節でしょう。

※写真は、入院中の相棒だったサンダルくんです。身代わりに(?)底がパックリと割れちゃいましたので、明日、帰宅後にすっぱりとお別れします。フェティストではないけれど、キミにも感謝しているよ (^^)/~~~

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