日曜劇場から
10月のなかばの投稿で、ホロリとさせられたことを告白した「東芝日曜劇場 JIN—仁—」ですが、その後もよくホロホロさせられております (ノ_-。)
夏の退院いらい、早寝をこころがけていることもあって、放映時間には途中までしか視聴せず、つづきは職場で昼食をとりながら録画をみることになりますが、毎回毎回、箸をとめてティッシュで鼻をかむことしきりです。悲しいとか、うれしいとか、涙の種類はいろいろとあるでしょうけれど、あまりわけへだてなく泣けてしまうのは、涙腺のゆるい年齢になったからかもしれません。
きわめて個人的な感想をいえば、このドラマで泣けるのは、医療ものでありながら、そして、毎回、医療によって生命を助けられる人が登場するものでありながら、それでも死は避けられないという、あたりまえのことをえがいているからではないかと思います。高岡早紀さんの演じた「夕霧姐さん」(「おさらばえ」)、武田鉄矢さんが友情出演した「洪庵先生」などは、死するときがわかっていながら、ゆったりとそれを迎えていたようでした。死すべきものとわかっていてそれを迎えられる人は、強い。
巡回法廷において有罪の評決をうけた犯罪者(在監者巡回法廷および刑事巡回法廷の辞令をうけた判事が主宰する裁判なので、必然的に重犯罪者=有罪であれば死刑が多い)の記録、ニューゲト監獄付き牧師の出版した死刑囚の履歴および語り、死刑囚みずからが作者となった(と少なくとも記載する)死を前にしてのことば、そして、死刑囚が国王にあてた恩赦嘆願状、そういった史料で刑死をみてきた自分にとって、死生というのは比較的ちかいものと思っていました。自分にふりかかってきても、何とかうけいれられるのではないか、と。ところが、ぜんぜんそうではありませんでした。右側のは主治医の先生が「根治」という表現をつかっておられましたが、いまでもまだ左側には発症していないけれど、予防治療もしていない、経過観察中のものが残っています。そのことについてあれこれくよくよしはじめると、眠れなくなったり、ドキドキしてしまったり、あるいは逆に何をする気力もわかないときがあります。精神的に不安定な状態になるわけです。そういう自分をみていると、死刑囚たちのふるまいの記録がこれまでと別様に感じられるような気がします。
経験第一主義みたいになってしまいました。
12月7日の業務
【授業】「イギリス社会史研究(院)」10:40〜12:10
【授業】同上。次々回の文献コピー。
【特別講義】担当の先生からお知らせを受領 → 室内に掲示。
【PC実習室運用】プリンタ更新関係のやりとり。
【人捜し】事典項目を担当可能な人材についての問い合わせに応対。
12月8日の業務
【ゼミ】欠席者=インフルエンザかも知れない学生から連絡 → 学生室の方とやりとりしながら対応。
【ゼミ】卒業研究の一部原稿を受領 → 校正・コメント。
【授業】「演習」13:00〜16:10
【会議】「国際交流委員会」16:30〜17:50
【会議】「学部活性化事業ミーティング」18:00〜18:45
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