あれから30年ですか
30年前の8月16日は、静岡駅前地下ゴールデン街でガス爆発事故のあった日です。日づけや被害の詳細はほとんど記憶に残っていないですが、実家の茶の間にあったテレビにニュース画面が映じられている光景は何となくおぼえています。
その夏は1か月ほどの入院生活を送っていました。日本がボイコットしたモスクワオリンピックの映像は、6人部屋に一つだけおかれていたテレビのニュースで見た記憶しかありません。病院は移設する直前の古い建物で、なんと空調さえなかったです。高校を卒業して、それなのに入学した大学をやめ、どうしようかと進路をきめかねていた時期で、茫漠たる不安をかかえながら無為のうちにすごした夏でした。
映画を鑑賞する趣味はなく、買い物を楽しむ余裕もなく、静岡市の商店街を歩くような機会の少なかった(ようするに、田舎者であった)アタシにとって、ゴールデン街は誰かのあとについて歩いたていどの場所でした。静岡駅に行くには、バスに乗って20分はかかる清水駅までいったん出て、(当時は国鉄だった)東海道線にのりかえるか、自宅から最寄りでないバス停まで10分ほど歩き、さらに、渋滞のはげしい道路をとおってゆくバスに40分ほどゆられてゆくか、のどちらかで、いずれにしても遠まわりを強いられるため、でかけるにはそれなりの決心が必要だったからです。距離的には近いところでおきた大惨事であったとはいうものの、心理的には遠い場所のできごとにすぎなかったのかもしれません。
それでも、大学に入り直して、名古屋・栄駅周辺の広大な地下街を歩いたり、広場で待ち合わせをしたりするようになったとき、なんとなく避けたくなったのは1980年の記憶からでしょうか。いまになっては、そうであったとも、そうでなかったともいえません。
かつてのゴールデン街はすっきり整えられた地下街になりました。ドヤドヤした印象のあった店舗もなく、駅の直近部分は屋外光を充分に採りいれ、水の流れおちる広場になっていて、ちょっとこじゃれた感じです。爆発事故のあとに再建され、さらに近々に再開発された地区には、収蔵品のない美術館をふくむ「葵」タウアが立っていますけれど、そのタウアの一角には書店があって、尚さんがアルバイトしていたりもします。
8月のなかばは、個人的にも、社会的にも、記憶しておかなければならないことが本当に多い時期です。
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