イギリス史研究会第26回例会のご案内
幹事からご連絡をいただきました。
以下に一部の連絡先情報を削除して登載します。
皆さま
イギリス史研究会第26回目の例会を、下記の要領で開催いたします。ご多忙中とは存じますが、何卒ご出席賜りますようお願いいたします。
今回は、西洋経済史、環境史がご専門で、近年は「世界の環境問題とその歴史」についてご研究されている水野祥子氏(九州産業大学)にご報告をお願いしています。また、コメントはミャンマーの林業についてご研究されている谷祐可子氏(東北学院大学)、ドイツと日本の農業史、食の歴史がご専門の藤原辰史氏(東京大学)にお願いいたしました。
なお、第27回目の例会開催は、2012年6月(報告者:中野忠氏(早稲田大学))を予定しています。そちらの方も奮ってご参加下さい。6月例会の詳細については、追ってご案内させていただきます。
記
日時 4月7日(土)午後2時 ~ 午後5時
場所 青山学院大学 ガウチャーホール 5階 第13会議室
キャンパス内地図
http://www.aoyama.ac.jp/other/map/aoyama.html
キャンパスへのアクセス
http://www.aoyama.ac.jp/other/access/aoyama.html
報告者とテーマ
水野祥子氏(九州産業大学)
大戦間期イギリス帝国における森林管理制度と原住民の土地利用
コメンテーター
谷祐可子氏(東北学院大学)
藤原辰史氏(東京大学)
参考文献:
①水野祥子『イギリス帝国からみる環境史―インド支配と森林保護―』岩波書店、2006年。
②水野祥子「大戦間期イギリス帝国におけるグローバルな環境危機論の形成」『史林』第92巻1号、2009年。
③水野祥子「イギリス帝国における林学の展開とインドの経験-帝国林学会議の焼畑移動耕作に関する議論を中心に-」『林業経済研究』第58巻1号、2012年(3月予定)。
世話役 平田雅博(青山学院大学)・坂下史(東京女子大学)
連絡先: 東京女子大学 現代教養学部
以下、水野祥子氏よりいただいた報告要旨です。ご参照下さい。
19世紀後半からイギリス帝国各地で森林資源を適切に管理し、持続的産出を図ろうとする試みが始まり、政府が近代林学に基づき森林を管理する制度が展開した。森林局や森林法が整備され、政府所有林に画定される森林面積が拡大するにつれ、焼畑移動耕作や放牧、燃料の採集など原住民の慣習的な森林利用が制限されるようになった。インド森林史の先駆者R・グハに代表されるように、こうした中央集権的な森林管理制度は現地社会のシステムを破壊し、激しい抵抗を引き起こすものと捉えられてきた。他方で、1990年代末から、支配と抵抗/近代科学と伝統的慣習という二項対立の構図からは見えてこない植民地政府と現地社会それぞれの内部の多様性や変化、また、両者の複雑で動態的な関係性に注目する研究が出てきている。
例えば、アフリカの植民地科学者の中に原住民の伝統的農法を評価する者の存在を指摘したH・ティリーは、科学者内部の意見の多様性や変化を重視しており、帝国の資源管理制度が一枚岩であるかのような見方に疑問を投げかけている。一方、K・シヴァラマクリシュナンやA・アグラワルは、インドの森林政策が各地で同じように実行されたわけではないと主張する。かれらによれば、一律の制度が導入されても、現地の生態系や住民の抵抗、政策をめぐる収税局との対立等さまざまな状況に適合するために、実際は管理の仕方を修正せざるをえなかったという。
さらに、マレー、ジャワ、サラワク、蘭領ボルネオ、タイなど東南アジアの諸地域で森林管理制度が確立されるプロセスを概観したP・ヴァンデルへーストとN・ペルソは、各地で制度の形態や実践にかなりの多様性があったことを示し、この多様性こそが、科学者のネットワークを通じて林学に関わる知識や経験が交換される場、すなわち「林学の帝国(empire of forestry)」の形成プロセスを理解するうえで決定的に重要だという。かれらの研究は、ヨーロッパの近代林学がインド森林局を経由してイギリス帝国全体に広まったとするR・ラジャンやG・バートンの一方通行的な普及モデルを問い直すものであり、「林学の帝国」に集められた知がつくりだすダイナミクスに注目すべきだという指摘は意義深いが、十分に実証されたとはいいがたい。ローカルな経験が帝国の中でどのように作用したのかについては、もっと具体的に分析し、考察を深めていく必要がある。
そこで本報告では、イギリス帝国全体を視野に入れた林学・森林政策のマスタープランを協議する場として開催された帝国林学会議に焦点を当て、いかにして帝国内で森林管理制度が形成されたかを検証する。帝国林学会議は第1回が1920年にロンドンで、第2回が1923年にカナダで、第3回が1928年にオーストラリアとニュージーランドで、第4回が1935年に南アフリカで開催された。この会議で、近代科学と対立的に捉えられてきた原住民の土地利用が植民地科学者の間でどのように論じられたのか、かれらの議論の多様性と変化に注目しつつ、大戦間期の森林管理制度の特質に迫りたい。同時に、各地の多様な経験から生まれた森林管理方法が交換され、相互に影響しながら帝国内に展開するプロセスを明らかにすることにより、「林学の帝国」におけるダイナミズムを示したい。
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