イギリス史研究会第31回例会のご案内
あたらしい幹事の方々からご案内をいただきました。以下に転載します。
イギリス史研究会第31回目の例会を下記の要領で開催いたします。
今回は、アイルランド近代史を中心に研究されている勝田俊輔氏にご報告をお願いしています。また、コメンテーターには、19世紀コレラ流行とアジア・グローバル・ヒストリーとしてのインド社会経済史を専門とされている脇村孝平氏にお願いいたしました。ご多忙中とは存じますが、何卒ご出席賜りますようお願いいたします。
なお、第32回目の例会開催は、10月か11月の土曜日を予定していますが、詳細については後日ご案内をさせていただきます。そちらの方も奮ってご参加願います。また、10月後半、レスター大学名誉教授のリチャード・ボニーが来日予定です。イギリス史研究会共催で、セミナーを企画しています。こちらも後日ご案内させていただきますので、ご出席いただければ幸いです。
記
日時 2013年6月22日(土)午後2時 ~ 午後6時
場所 明治大学駿河台校舎 リバティ・タワー1143号教室(14階)
キャンパスへのアクセス
http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html
キャンパス内マップ
http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html
報告者とテーマ
勝田 俊輔 氏(東京大学)「アイルランド大飢饉の再検討」
コメンテーター
脇村 孝平 氏(大阪市立大学)
世話役 新井由紀夫(お茶の水女子大学)・佐藤清隆(明治大学)
連絡先 佐藤清隆 文学部
以下、勝田俊輔氏によるご報告の内容紹介です。ご参照下さい。
1840年代後半に発生したアイルランド大飢饉は、死者約100万人+国外移住者約100万人を出す惨事でした(1845年のアイルランド人口は約850万人)。飢饉は、19世紀のヨーロッパではまだ起こり得る現象でしたが、じつは死者の出ることは少なく、これに対してアイルランド大飢饉は、人口の10%以上が死亡した点で特異であり、また連合王国の内部で――「世界の工場」の裏庭で――発生した点で注目に値します。しかし、これまでの日本の西洋史学界では、アイルランド大飢饉は強い関心をひくテーマではありませんでした。
今回の報告では、(1)アイルランド大飢饉についての英語圏での研究動向を紹介し、(2)今後の研究の展望として、大飢饉の経験が19世紀後半に政治化される形で解釈・継承されていった(いかなかった)問題について概観します。
(1)英語圏の研究動向では、アイルランド大飢饉が national な現象ではなかったとの議論が主流となっています。この場合の「national ではなかった」とは、連合王国政府による「アイルランド民族」の意図的な抹殺が図られていたわけではない、ということに加えて、大飢饉はアイルランド内部で見ても地理的・社会的に偏りのある現象だった、という意味です。近年の研究では、大飢饉での大量の死者と国外流出者の要因として、天災、失政、無関心などが挙げられています。
(2)大飢饉は、その最中は農業経済および救恤政策の問題として認識されていましたが、19世紀後半のアイルランドでは、イングランド/ブリテンによる迫害の一例としてナショナリズムの言説の構成要素とされるようになります。この一方で、大飢饉によってアイルランドからの移民は加速して、アメリカ合衆国には特有のアイデンティティを持ったアイルランド人コミュニティが成立し、大飢饉の経験はここでも政治的な形で継承されます。
アイルランドは19世紀の後半にも数度の飢饉を経験しますが、大飢饉の経験から教訓を得た政府の積極的な救恤策と、このアメリカ移民からの義援金によって、飢饉の深刻化は避けられます。また、救恤策以外にも土地制度改革が連続的に導入されたこともあって、世紀末までには、アイルランドの農村で貧困の問題は過去のものとなります。
これに対して、同時期の英領インドでも飢饉が頻発し、大量の死者が出ていますが、アイルランド大飢饉の経験は、インドでの飢饉の際の救恤策では活かされなかったように見えます。こうしたギャップについてどのように考えるべきかと言う問題も、論じてみるつもりです。
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