August 2015
いただきもの(大きな分かれ目)
先週の後半は、あいもかわらず会議と講義におわれ、くわえて学期末の試験採点や卒業研究の面談もあって、週初に立てた「ウェブログの更新するぞ」の誓いをまもることができずにすぎました。ああ、自己嫌悪、ああ、後悔先に立たず ((>_<。)。。
あたらしい週がはじまりましたので気をとりなおし、本日からあと2冊ほどのいただきもの&卑小ながらのお礼のことばをつづります。
いつかは読まなければと思いつつ、機会を逸してしまう書籍がたくさんあります。それが外国語の本であったりすると、空振りというよりも見逃しの三振を喫する可能性はさらに増すことでしょう(いや、すくなくともアタシの場合はそうです)。そうしたとき、当該の外国語と日本語に長けたかたがたによる翻訳のお仕事があると、とてつもなくありがたいです。英語を英語として読むのは重要ですけれど、それはそれで心理的な敷居が高くなりますし、何よりも翻訳もまた一つの解釈であるとすれば、それぞれが専門家でもある訳者のかたがたが産業革命や近代の世界経済の展開をどのようにとらえようとしているかを理解することは翻訳でしかできません。
なまけごころを戒めつつ、この夏に読ませていただこうと思います。ありがとうございました。
K・ポメランツ(川北稔監訳)『大分岐――中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』(名古屋大学出版会、2015年)。
いただきもの(海だよね)
編者のおひと方から日本西洋史学会(富山大学)の終了後にいただきました。学会でも販売されていたことでしょう。
地域としては、北海・バルト海域、北方ヨーロッパの陸域、アイスランドをふくむ北大西洋域、あるいはビザンツ帝国など、登場する人に目をむければ、ヴァイキングやハンザ商人、羊毛布の生産者としての女、グスタフ・アードルフなど、時代はおもに中世盛期から近世までが、本書にふくまれています。これだけで、いまの季節、立ちくらみがしそうな大きさと多様ぶりです(大暑の時期までぼやぼやしていたアタシが悪い)。中世はちょっと手が出ないにしても、近世のオランダやスウェーデンについては、ちっぽけな範囲の、ちっぽけなできごとを、あーだこーだととりあげたがる傾向の強い者にも刺激的な内容ではないかと思います。
あとがきにも書かれていますが、入門書的に読めるように、注はなく、各章末に重要な参考文献のみがあげられるスタイルです。それでも、図版やグラフ、表の出典の表記をみれば、いつでも専門的な註をつけられたことがわかります。誰に向けて書くか、を意識して、あえて……、という編集方針でした。
ご恵送いただき、ありがとうございました。
斯波照雄・玉木俊明(編)『北海・バルト海の商業世界』(悠書館、2015年)。
いただきもの(渾身の講義)
日々の生活に余裕がありません。自分でもあきれはてるほどです。トクさんやハルさんにご恩返しをせねばならない学会には参加せず、二つの魅力的な研究会の日程が重なっていたのには両方ともでかけず、直接にお目にかかって知的な刺激をうける機会をみずから放棄しているかのような体たらくに、ただ自己嫌悪がつのります。力作をおくっていただいても読むだけで精一杯になり、お返事も、このウェブログでの紹介もままならないのは、ひとえに……(、以下は定型句 (..;)
ひとつずつでもお礼とご紹介をかねて、今週中には掲載したいと存じます。
まずは、師匠と研究室の学姉と Holloway からの友人にいただいたものです。「講義」というタイトルから気安さを想像してはいけません。おさめられた12編は historia の原義である「体系的な調査、それによる知識、その記述」を体現する「渾身の一こま」となっているからです。たとえば、複数の文書および文書館を利用しているからよい、というのでなく、その利用には研究のための必然性があることをも叙述のなかからつたえてくれています。読む側も試されるのはいかなる書物であっても共通していますが、導きながら試されるのは、けっこうしんどい経験でした。
「序」の最後に書かれた一文、「辞書は買って損しない……」もいい。
ありがとうございました。
近藤和彦(編)『ヨーロッパ史講義』(山川出版社、2015年)。
5月25日にいただいていたものです。
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