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横綱 輪島

短くつぶやいたものの、すこし長めに、ひさしぶりに書きたい欲を解放してみることにしました。本日に告別式が執り行われたと、23時すぎに知ったからでもあります。

まちがいなく田舎の小学生・中学生・高校生でしたから、横綱(第54代)を張った輪島さんと個人的にはいっさいの面識もなく、大相撲の場所にでかけたこともなく、ただただテレビやラジオや新聞で名前や声や姿を見て応援していただけです。たまたま大相撲というスポーツにはじめて関心をもったころに、十両から幕内へ、幕内の下位から三役、大関、横綱へ、あっというまに出世をしていった相撲取りです。そして、引退するまでひたすら応援した、ただひとりのお相撲さんでした。たしか、最後の取組で負けた相手は、琴風(いまの尾車親方)でしたかね。

輪島さんがデビューした1970年は、祖母が長患いのために入院生活をしていた東京へ、隔週くらいで見舞いにいっていました。朝は7時前に出発し、帰宅するのは18時か19時すぎの日程でした。半世紀近く前のことですから、父や叔父の運転する自動車に子どもが遊べるような付属品はなく、せいぜいのところ、車内では本や新聞を読んだり、ラジオを聞いたりするくらいしか、暇つぶしはありません。妹がいっしょのときは歌番組を流して歌っていた気もしますが、運転手にはやかましかったことでしょう ヾ(^。^*)まぁまぁ

春や夏には野球をラジオで聞いていたですが、場所がある年6回は帰路の東名高速道路で中継に興奮しました。光司さんの貴乃花でなく、利彰さんの貴ノ花と、いまもかっこのよい(当時は「現代っ子」と呼ばれていた)北の富士との「かばい手」でもめた一戦などは、ラジオの中継だけでは頭のなかで場面を想像できず、でも、興奮しまくっていったいどのような体勢になっていたのかと翌日の朝刊の写真を何度も何度もながめてみたほどです。アタシのまわりにいる運動のできる友だちは、ほぼみながサッカー少年団とかかわっていました(そういう土地柄ですから)。あるいは、ソフトボールだけは地区大会がありましたから、野球好きはそっちに流れていたはずです。でも、運動が得意でないので、ソフトボールとはちょっぴりかかわりましたが、サッカーには近づかず、ぎゃくにそういう人たちがあまり興味をもたなかったから、相撲が楽しみになったのかもしれません。

記憶にのこっているかぎり、輪島さんは新入幕のときに勝ち越しました。つぎの場所は幕内の中位になって、大きく負け越しています(4,5勝しかできなかったはず)。その場所の千秋楽の対戦相手が、たしか豊山だったか、金剛だったか、のちにはあまり強くならなかった力士で、しかし、突き押しから一直線に寄り切りられて負けた姿をテレビで見ました。さらにショックであったのは、解説者が“覇気のない相撲取り、元気のない取り口をやっているようではダメだ”といったコメントで腐したことです。のちのちもそうですが、どちらかといえば筋肉質で、前すぼみの肩のために姿勢が悪く見え、力まかせというよりは技巧派の印象がする、さらにいえば、大成しないといわれる左下手を得意とした(というよりも、右からの押っつけが強かった)、もうひとついえば、立ち会いにほぼ変化しなかった相撲が、それでも勝てなければダメなのか……。負けないように、勝てるように、ずっと応援したくなりました。

父や叔父と相撲で遊んでもらったとき、近所の友だち(いまは北海道にいる「泣いた赤鬼」の赤鬼・青鬼コンビ)と砂場でレスリングごっこをしたとき、よく左下手出し投げのような技を繰りだしたのは、端的にマネです。だれもまともに投げられませんでしたが(非力で、かつ、右利きですし、くずす技もないので)、それで満足でした。

その後は、北の富士、貴ノ花、北の湖はもちろん、高見山や豊山、のちに横綱になる千代の富士や大関になる琴風などと対戦し、勝ったり負けたりするのを観戦しました。アタシが高校生のころ、勝てなくなって、休場も多くなったけれど、それでも、高校1年のときには全勝優勝すらしましたし、前半戦で負けても最後まで北の湖関を追いかけ、千秋楽までを盛りあげていたように記憶しています。敗れても練習して復活する、そういう筋書きをたしかめさせてくれる存在で、高校を卒業後に入学した大学を中退し、“どうしよう”と迷っていたアタシがまたもマネしたい筋でもありました。

正直なところ、引退後はよく知りません。そのころはテレビのない下宿生活をしていましたし、新聞や週刊誌をながめることはなかったからです。プロレスラーになったときは、「うーん」という感じでした。

自動車でいっしょにラジオを聞いた父も叔父も、入院生活をしていた祖母も鬼籍に入って、あのころの記憶を共有できる人は身近にいません。さびしいなぁとつぶやくことも多い今日このごろ、平成の末年です。

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