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長幼の序

D院生のころの記憶ですが、東洋史のM院生といっしょに研究会へ向かい、地下鉄に乗っていました。車輌はわりと混んでいてすわる席はありません。完全に週休2日制になる以前の土曜日の午後早くはそういうものでした。乗換駅になってひとつの席が空きました。大都市とはいえ地方の電車のなかではたまにあることでしたが、だれもすわりません。無言のせめぎあいというか、時機を逸したというか。そこで連れのM院生さんがひと言、「栗田さん、長幼の序ですから、おかけください、どうぞ」と発して、無知なアタシは「え、それなに」と返したのでした。さすがに「おいしいの」とはつけてはいません(笑)。

中国史のかれには常識でしたが、孟子の五倫のひとつです。すべてを現代語風にした日本語版ウィキペディアの記述をあげると、

父子の親:父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
君臣の義:君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
夫婦の別:夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
長幼の序:年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
朋友の信:友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。

となっていました。長幼の序だけが相互的でない記述ですが、もちろん、年長者の側は年少者を慈しまねば秩序を成立させることはできないでしょう。

「それはやめてよ」とかれから意味を教わったあとにお願いした古い恥ずかしいできごとを思いだしたのは、このごろに80歳代のお二人の発言が話題となったからでした。発言じたいは弁解の余地のない差別ですし、撤回しても記録に、そして、人びとの記憶に残ります。当県の知事(70歳代)が「20年来の知りあい」と擁護していましたけれど、アタシの記憶にのこっているだけでも、2000年からこのかた、 「子どもを一人もつくらない女性を年とってから税金で面倒をみるのはおかしい」 「あの子、大事なときにはかならず転ぶんですよね(ソチ五輪のときの浅田真央選手にたいするもの)」 などの発言が物議を醸しました。 20年来、見逃してきたのでしょうか。それが「敬い、したがわなければならない」「幼」の役割でしょうか。

社会とは人と人とが交わるところのすべてです。社会の秩序は人と人との交わりのなかに成立しますから、片務的ではありません。「長」もまた「幼」にたいして役割があります。慈しむとは大切にすることであり、これもまた尊重、敬いにつながるはずです。片務的であるのは、別組織でありながら笑ってすませたJOCとか、記者会見のときに壁のようにうしろに立っている(派閥の?)お仲間たちだけで十分でしょう。ただ年長であるだけで、何もいわずにしたがう、何もいわせずにしたがわせるのは「長幼の序」というより、典型的な「老人支配」です。

年寄りの権力者はこわいですけれど、何かいわれたら、せめて「はぁ~、んあぁぁ…、すみません、最近ちょっと耳が遠くて」と叫びながら、にっこりとしていることにします。

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