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論証と解釈

一昨日のニュース報道でした。「国調達の布マスク115億円分、未配布のまま倉庫に アベノマスクも」

ニュースの画面で見ると、おおかたの反応は「もったいない」「何の意味もなかった」「社会福祉など、ほかに使い途があるでしょ」といったところです。うちもそのマスクは誰もしないままに、つまり、袋に入ったままで机の引き出しのなかに埋まっています。無駄づかいには仕置きが必要とも脊髄反射的にことばが出ましたけれど、ところが、ネットのニュースサイトのコメントを眺めていたら興味をひくものがありました。いわく、政府がマスク供給策を打ち出したおかげで、転売して不当な利益を得ようとする者たちがいなくなり、マスク不足による社会不安を軽減する効果は確かにあったとのことです。

じつに興味深い。これって、アタシが18世紀イギリスの勉強をしはじめたころ、犯罪的な行為に興味をもって200の死刑規定法の研究を読んだころの研究史に類似しています。死刑規定法によって犯罪者は極刑を科される可能性が増し、実際にその数も増えましたが、一方で処刑数じたいは増えません。ほぼ横ばいでした。それは、統治階級が自由裁量権を行使して司法を操作し、最終的には国王の恩赦の付与によって刑を減じたからです。死刑になることがもつ抑止力、生命が助かることによる安堵と権力への感謝、服従が強調されます。さらには、意図的に極刑の恐怖と恩赦の寛容を運用、操作することを統治階級が意のままにした(「陰謀」)という解釈でした。

この解釈の難点は、それをどうやって証明するかがわからない、否定も肯定もできない点です。結局のところ、統治階級は統治しつづけたからこそ、その名があります。どれだけ彼らの意図が制限されても、ヘゲモニー維持のために戦略的に譲歩した、といえばとおってしまいます。おなじように、結果的にマスクの供給が十分になった、転売ヤーをしりぞけた現在では、社会不安は軽減されたかのように見えるだけで、統治の意図が証明できないように、社会不安に対処する意図も立証できません。

功からさかのぼって意図の存在を暗示してもなんだかな〜と。

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