最期を思う
10月31日の日没後には Halloween = All Hallows' Eve があり、11月1日には諸聖人の日(All Saints' Day)、2日には死者の日/万霊節(All Souls' Day)、5日にはガイ・フォークスの夜/火薬陰謀事件の日とつづきました。11日が第一次世界大戦の終戦記念日(Remembrance Day)、14日が Remembrance Sunday です。イギリス史を勉強するとこの時期が日本の盂蘭盆会のように感じる……かもしれません。今年はとくに春先からお寺さんとのつきあいや法事の仕切り、相続云々などがあり、そろそろ喪中はがきの準備をするなど、最期を思う機会がいつもよりも多くなっていることはたしかです。
思えば、父も母も長い闘病生活、入院生活を経験することなく旅だちました。これが最後と意識することなく、ことばをかわしてわかれた記憶があります。母とは猫の名前のことでした。たわいもない会話といえばたわいもないですが、それだけにさびしさが募ります。
自分をふりかえりますと、最後のことばはこのブログや Twitter になるのかもしれません。Instagram にも Facebook にもアカウントがありますし、Slack や Chatwork もつかっていますから、そちらの可能性もなくはないです。妻さんやふたりの子どもには何をつうじてつたえることになるでしょうか。いや、むしろ、つたえることなどなく、父や母のように知らずにことばをかわすだけになるでしょうか。
死を思え(memento mori)といわれても、つねに気にしていることはできませんし、気にしたらきっと重い毎日でしょう。すべての人は有限の時間を生きており、その時間がいつ途切れるかはわかりません。そのことを忘れないでいることなど、弱い人なので、とてもとても背負いきれない。このあいだ、就寝時に「もしもこのタンスが倒れてきたら」とか気にしはじめたら、しばらく眠れなくなったほどです。いや、そのうちに眠気に負けましたけれど ヾ(^。^*)まぁまぁ
死は思えませんが、せめて史を思い、過去とかかわるなかで現在の自分を相対視して見さだめることにつとめたいと思います。
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