遺言します
思いがけずもはからずも、このたびは遺言(いごん)を作成することになりました。病気を患ったとか、家族構成に変化があるとか、大金を手に入れたとか(退職は近いけれど)、劇的な理由はありません。あえていえば、叔父と叔母のため、といったところでしょうか。
作成する遺言は、読み方を丸かっこ内に限定したことからもご想像がつくとおり、公正証書です。法的に有効な自筆遺言などはアタシのとぼしい知識と能力では、たとえ遺言キットが販売されているとはいえ、とうてい作成できませんし、それをなくさずにとっておくような秘密の金庫ももちあわせていません。15年前に開頭手術をするとき、「遺言をつくれ」といってきた友人がいましたけれど、そのころは子どもたちに「おかあさんを頼む」くらいの遺言(ゆいごん)しか思いうかばなかったことを記憶しています。
2021年に母が亡くなり、法定相続人は妹とアタシの二人きりで、相続をおこないました。司法書士と税理士の方を頼り、ぎりぎりその年の12月までに手続きが終了しました。遺言がなかったので、たった二人でも遺産分割協議は必要で、あーだこーだと意見をかわすこともなかったわけではありません。法律上の取り分(遺留分)は半分ずつになりますが、実際にはそうではない分割でしたから、争族とはならずとも、すれちがいくらいはよく発生しました。母の遺産を使って購入した現在の土地と家屋、それからアタシの預貯金について妻さんと二人の子どもがそうならないようにする、というのが今回の名目ではあります。わりとあたりまえの配慮といえるでしょう。
ここからが叔父の話です。
父の4歳下で、たった一人の弟であった叔父は、いいかえれば血縁関係のある唯一のおじでした。母は五女で伯母たちの結婚相手=伯父たちとアタシとは血縁がありません。父は親分タイプの暴れん坊としてそれなりに名を知られ、叔父が高校に入学するとそこの番を張っている人があいさつにきたなどという逸話を聞いたことがあります。それにたいして叔父は人にやさしく、やわらかい性格で、祖母の話では「おまえ(=アタシ)に似て泣き虫のところもあった」らしいです。
叔父には幼いころからかわいがってもらいました。子どものなかったことが大きかったかもしれません。じっさいに小学校高学年のころにはアタシの養子縁組の話もでていました。誕生日やクリスマスにはプレゼントやおいしいものをもらいましたし、家に呼ばれてごちそうになったり、叔母の実家へ帰省するときにいっしょに連れていってもらったりして、実子のようでした。東京の大学に通っていたとき、ちょうど60年安保と時代がかさなっていて、樺美智子さんの話を聞いたこともありました。学生自治会に深入りしたアタシへの忠告であったようです。ちなみに、学生時代に東京に住んでいたので叔父の愛称は「とうきょうにいちゃん」でした。その「とうきょうにいちゃん」は、アタシがものごころつく前から「仲人はオレがやる」と宣言していて(「なこうど」など園児に何ものであるかなどわかるはずもありませんが、笑)、そしてほんとうに媒酌人をつとめてもらえたのは、世間をまったく知らない大学院生にとって、逃げだしたくなった婚約期間を乗りきり、結婚にまでこぎつけるまで、文字どおりの物心両面、経済的&精神的のささえとなりました。
結婚前に叔父とじっくりと話をしたのがいつごろであったかはおぼえていません。樺さんの話もそのときにでたのかもしれません。ふと、叔父が「おまえはこの先どこにいくのか、こっちに帰ってくるのか」とたずねました。いわゆる学生結婚で、海のものとも山のものとも先のわからぬ状態でしたから何とも答えようがなかったですけれども、漠たる希望として「どうなるかわからないし、実家はもう結婚して子どものいる妹についでもらうのがよいと思う。でも、できれば最後には帰ってきたい」とかえしたところ、叔父が叔母のいる前で「わかった、じゃ、この家を残しておいてやる」といってくれたのです。
※長くなりそうなので、いったんここでおしまいです。つづきはないかもしれませんが、遺言をぶじに終えたらもうすこし付け足すことにしましょう。

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