遺言しました
ひと月半ほどまえに「いったんここでおしまいです」と書いたつづきです。公証役場にて公正証書として叔母とふたり、遺言を作成しました。ひとりずつで呼ばれて、ふたりの証人が同席する場で証書が読みあげられ、公証人もふくめて4人それぞれが署名捺印することで完成です。叔母もアタシも忘れっぽいところはありましたけれど、最初にもとめられる口頭で内容を述べることを何とかぶじにできました。よかった、よかった。
公証役場に足をはこんだ回数は、最初の手続きや必要書類の説明をふくめて3回を数えました。ほかにも区役所や法務局に書類をとりにいきましたし、叔母のアッシーくん(死語)もつとめています。ただ、そうしたことよりも何よりもこのひと月半のあいだ、叔父が亡くなってからの28年ほどをひとりで暮らしてきた叔母といろいろな話をする機会をもてました。とてもやわらかな時間でした。
「とうきょうにいちゃん」の意志は前回に書いたとおりです。でも、「とうきょうねえちゃん」のほうはずっとわからないままでした。正月や盂蘭盆、春と秋のお彼岸などには2,3時間ほどお宅で話すときもあり、職員住宅に住むアタシたちに「さて、住まいはどうするの」などとたずねることはありました。でも、遺産の話をするのは気がひけるものです。答えは「そうですね、いつまでもいまのところにいられるのではないから、考えなきゃ、です」くらいしかありません。こちらのこころのうちを察したか、叔母もツッコミをいれないままでした。
あいまいなままできたのが変わったのが、母が亡くなったときからです。アタシひとりでお宅にいったとき(大雨で浸水被害をうけたお見舞いであったようななかったような、笑)、「自分の意志を書いてみた。金庫に入れた」と叔母が語りました。内容はわかりません。でも、何かを決めたようでした。昨年末には手術を経験し、生還したことも決心を強めるほうにはたらいたようです。
アタシも定年をけっこう近くに控えて自分のもちものを整理しておきたいと考えるようになっていました。年末から年始にかけてはインフルエンザで寝こみましたから、小正月のころ、叔母の家にあいさつにゆき、思いきって「いっしょに遺言をつくりましょう」と持ちかけたところ、すぐに賛成してくれました。術後の通院にもつきあいながら公正証書の説明をし、でも、内容はおたがいに交換することなく、作成の手続きを終えるところまで到着したしだいです。
叔父にもらった大きなものをすこしでも叔母に返せたとしたら、養子になりそこねた(かもしれない)甥として役にたったといえるかも。
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