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大きなことば(big words)

昨年の今ごろは40年ぶりくらいに(オンラインとはいえ)会って話をした高校の同級生と仕事をしていました。人間の記憶とはふしぎなもので、昨日にいただいた三食のご飯はおぼえていなくても、40年以上前の人の面影や声はすぐに思いだせます。職場の事務的なお仕事はやっていて飽きてきますけれど、同級生のおかげもあって何とか完遂できました。結果としても、かなり満足しています。

その同級生が仕事中に消極的な評価、否定的な判断をするときに使っていて印象に残っているのが「ビッグ・ワード」です。先験的に、つまり、腑に落ちるような噛みくだき作業や個別具体事例の検証を経ることなく、とらえかたしだいでどのようにでも解釈できてしまうことばを指します。1単語/ワンフレーズで抽象的かつ広い意味をもつなものがほとんどであり、それゆえに検索エンジンで検索回数(検索ボリューム)が増え、ボリュームが大きい=ビッグ・ワードとなるわけです。それじたいは価値中立的かもしれませんけれど、学術的な書きもので登場すると、どこか衒学的な、大雑把な感じがしますし、上段から鉈をおろすような印象をあたえます。卑近な例をあげれば、主語が大きなものは揶揄されるでしょう。あのような感じです。「日本人」とか「人類」とか、主語にする語りやあるいは人名を使ってさも常識的な理解が存在するかのようにする記述(たとえば、「サルトル的」とか「ディケンズ的」とか)は検索にひっかかって目立つとしても、興味が失せてしまう経験を文章を読むのが職業の人としてアタシは数多くもっています。

さてさて、新聞の見出しのようなことばがくり返される演説を、おなじく新聞の紙上で目にすることが多い今日このごろです。キャッチにはもう辟易するばかりなので、まずは熊と米を何とかしてもらえませんかね。「指示した」も飽きてきました。

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