雨の運動会

下の息子は中学3年生です。夏の中体連までは部活動=バレーボールに明け暮れておりましたが、ようやっと何とか受験生らしくなってきました。オイラが帰宅するころには、ちゃんと机にむかっています。むかっているだけ、という話もありますが、それでも父親が高校を受験したときよりはまともでしょう。

その息子のかよう中学は先週末の土曜日が運動会=体育祭の予定でした。しかし、ご存知のとおり、その前日までの雨で運動場の状態が悪く、順延となりました。午前10時くらいからはすっかりよい天気になっていましたから、やってしまえばよかったのに、とお母さん連中は思っていたみたいです。ふだんは給食なのに、その日のためにお弁当をつくってもたせる方々にとっては、二度手間、三度手間になってしまうのかもしれませんね。

でもって、日曜日は体育祭がはじまって、すぐに雨が降りだしました。オイラは家で朝食をとっていて、ザーッという音がしはじめましたので、息子の部屋のお掃除をしていた尚さんに急報。電話連絡網よりも早くにメールがまわってきて、また延期になったということを確認していました。息子がいうには、「準備して、さあはじめ、というところで降ってきた。あとは雨のなかで片づけした」とのことです。体操服とか、応援用のTシャツなどの洗濯がめんどくさそう。

そして今日が三度目の正直です。まぁ、ダメならダメで秋分の日にやればよいですけど、予定が消化できないと宙ぶらりんな感じがするので、とりあえず、はやく決着をつけてしまいたかったらしいです。今朝は東の風で、西には青空が見えていたものの、なんとなく東の空は暗い。オイラは轟天号ビアンキで職場にむかいましたが、珈琲問屋に寄り道をしてマンデリン・ピーベリの豆200グラムをシティローストで購入し、店外に出ますとポツリ、ポツポツと雨……、空がさらに暗い……。さいわいなことに、オイラはザンザンとくる前に職場の建物内に逃げこめましたが、体育祭はまた延期かも。

小学生のころ、よく聞かされた話ですけど、通っていた小学校は沼地ないし池をつぶして運動場をつくったそうです。そこでは昔々におぼれて亡くなった方がいて、その沼/池じたいが墓標のような役割をになっていたらしく、それをつぶしてしまったがゆえに小学校の行事はなにかとたたられて雨がふる、ということでした。当然のことながら、運動会が予定日におこなわれたためしはなく、最低でも一度は雨で延期されたものです。小学校4年生くらいまでは、本気でこの話を信じていましたよ。(ついでいいますと、その学校にいらっしゃる先生方はながくつづかず、とくに校長先生は毎年かわってました。事情はいろいろですけど。)でも、あるときから突然にそういう話を信じなくなりました。なぜか、唯物論的な転回がオイラのなかでおこったのかもしれません。そうすると、学校行事が雨だったかなんて記憶にのこらなくなりました。記憶にのこらないと、それにもとづいて話をつくろうというきっかけがなくなります。その結果、たたられて雨、という話も雲散霧消しちゃったみたいです。中学や高校でも、雨でぐっちゃぐちゃの運動場で体育祭をやっている写真が残っているですけど、不思議と場面としておぼえていないみたい。

さて、息子の中学ですが、しっかり雨がふっても強行したそうです。明日は休みだから、雨に体力をとられた分、しっかり休んでとりかえせということでしょうか。うーん、がんばれ、受験生諸君。

【書類】海外研修報告書の作成。
【書類】土曜日の研究科入試の準備。
【?】同僚の方のPCとプリンタの接続を確認。
【PC実習室運用】実習室管理ソフトの更新にともなう費用の請求先について、メールのやりとり。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

地べたにすわる/寝る人びと

先週の土曜日、研究会がはねたあとにいった“箸で食べるイタリアン”の店で、いわゆる受験偏差値の低下がちょっとだけ話題になりました。Yさんによれば、ここにきてのレベルの低下がわかるのは、


地べたに


すわっている


ヤツがいる


ことなのだそうです。そういえば前の職場でも、廊下やら、階段やら、出入り口やら、いろいろなところで、みなさん、よくすわってましたねぇ。今の職場でもっともめだつのは、建物の入り口でタバコを吸いながら寝転んでいる人びとです。建物内は禁煙なので、喫煙所がそこへもうけられているからでもあるのですが、県のほかの施設は敷地内禁煙となっているのにもかかわらず、あたしの職場だけは例外処置がほどこされている関係上、こういう状態はさけられないでしょう。タバコを吸っているときくらいは、だれしも脱力したいものですからねぇ。

地べたにすわる学生さんについて、体育の先生が「身体に力がないんだよ」とおっしゃっていたのを思いだします。あと、「こういう姿を外部の人が見て評判がたつのは恐い」とも。あたしにいわせれば自業自得なんだからほうっておけばいいのですが、自己の身体を規律化できない人たちというのも、なかなかかなしい響きがあります。

ところが、今宵はじつに立派な地べたの主を発見してしまいました。ここまでくると王者の風格すら感じます。

20060628a

【授業】「英語で読む英米文化入門」10:40~12:10
【授業】学務スタッフへゆき、「英米文化論」の教室を変更。
【書類】学務スタッフへゆき、特別研究費の申請書類を修整するため、見積書のオリジナルを返却していただく。
【書類】申請書類の修正を完了 → 印刷 → 学務スタッフへゆき、提出。
【教務】学務スタッフへゆき、履修登録・成績管理の電算システムについて質問。
【教務】学部教務委員会(臨時) 16:20~17:40

| | Comments (0) | TrackBack (0)

日本語を読み書きする力

妻さんが息子2人にたいしてシール+ニンジン作戦で本を読ませています。おかげで、とくに小6の下の子は『西遊記』『幕末』(これはシマリョーの作品です)『セロ弾きのゴーシュ』『坊ちゃん』と読破、ゆっくりと、しかし着実に、読む力はあがってきました。問題は… …、やはり作文の力です。書くことそのものはキライでなく、(へたくそな)絵入りの作品をはじめとして、父への手紙などは喜々として書いてくれるのに、ある種のパターンのくり返しや「何でそーなるの?」といいたくなる内容しかないです。ましてや、句読点など気にもとめないし、「です・ます」と「である」の混在も、逆接・順接の誤用も、がっかりしてしまうほど目についてしまいます。

息子2人は典型的な「ゆとり教育」世代です。総合学習がすべてわるいとは思いません。小中学校にプレゼン機器がととのえられたり、PCのキーボードを前にしても物怖じせずにネット検索できたり、自分で Yahoo の学習ページをみつけたり、確実にスキルは向上していると思います。また、中1の息子のように、とても楽しそうに授業をわがものにしている姿は、以前の、ひとりの教師 対 多数の生徒にみられた構図とは本質的にちがいます。コミュニケーションのもちかたが根本的にちがうのです。

こうした変化はうけいれるとして、ただやはり気になるのは、「日本語を書く力がない」こと。これは、アタシら教師の常套句でもあります。いつぞやのある会議でも、「日本語でさえロクなものが書けないのに、ましてや英語だなんて……」という発言がありました。「すべて英語(または外国語)で授業したらどうか」となされた提案への反論です。学生時代、とくに大学院生のころを思いだしますと、エラソーなことはいえないですが、レポートや答案でロクなものに出会うのは奇跡にちかい確率かもしれません。毎年、100〜200本、非常勤もくわえれば300〜400本ほどのレポート類を採点します。ですが、これまで、論旨、構成、日本語のいずれも合格点に達した=まちがいなく「A」だったのは、たった2人です。【ちなみに、「A」の2人のうち、4年前に卒業した方は「アーミーナイフのような切れ味の論理性」がありました。昨年に卒業した方は「抽象性と具体性が幸せなハーモニを奏でる」書き手でした。】 傾向的に三つのうちでとくにどれがダメなのでなく、論旨が足りないのは構成も甘く、日本語が不正確・不適当になります。結局のところ、日本語を書く力とは、レトリックや語彙の豊富さよりも、愚直なくらいにことばの正確さへこだわるセンスがあるかどうか、ではないでしょうか。

大学生になってさえ、日本語の文章が書けない人は、「作文」の時間をどのようにすごしてきたか、どのような教師に小学校で出会ったか、誰にむけて書いたか、etc... で不幸がかさなってきたのかもしれません。そもそも作文では、たとえば水泳で息つぎをおそわるように句読点を習わせる、形式面でのきびしさをもつ必要があります。ですから、『朝日新聞』夕刊の「炎の作文塾」まではいかなくとも、作文を担当する低学年の教師にはちゃんと本文から朱入れをしてほしい。作文の最後におざなりな感想を書きいれるのでなく、あたかも校正原稿のように、文章本体に朱で書きこんでほしい。感想を書いてもかまわないけれど、それは個別具体的な内容にそくしたものであるべきだと思います。

一種の循環論法になってしまうけれど、大学でしっかりと勉強せず、まっとうな文章を書けない学生が教師になる。【この場合、勉強とは教科にかかわるもので、教職にかかわるものではありません。文科省は、学級崩壊などから後者を重視するようですけれど、生徒は勉強していない教師を瞬時に直観でみぬきます。そして、軽蔑します(中学時代のあたしがそうだった)。】その教師がまた生徒に作文をおしえるのですからねぇ。

もうひとつ、ぜひとも生徒におしえてほしいのは、内容として、優等生の作文を書く必要がないということです。推理小説で人を殺したり、ギャグやパロディやパスティーシュだってかまわない。楽しいもの、こわいもの、悲しいもの、うれしいものを書いてよいのです。作文は道徳の時間でなく、想像力の時間なのですから。

【授業】卒業研究の口述試験の時間割を決定 → コース助手の方へエクセル・ファイルで報告。
【授業】卒論の査読のつづき。
【PC実習室運用】機器更新の見積書の写しを受領。
【教務】コースのゼミ分けの発表日についてコース助手の方と相談。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

お泊まり旅行

子どもたちが「気のいい羊たち」の1泊2日旅行に参加しました。朝7時半の集合でしたが、出発したのは8時半! バスが渋滞にまきこまれたそうで.... 二人とも今年になって、それぞれお泊まり旅行を経験済みなので身の回りのことなどの心配はないですが、問題は二人でいることでしょう。おふざけが増幅されてしまいますから。まぁ、元気に遊んでおいで。

【授業】「英米文化論」のレポート締切日。採点も並行して進行中。

【教務】高大連携の出張授業にいってくださる先生よりメール → 学務スタッフの方へ転送。
【教務?】学務スタッフの方より電話で、『ことばと文化』の問いあわせ。

先日の健康診断の結果がかえってきました。徹夜の翌々日であったのにもかかわらず、善玉コレステロールの数値以外はきわめて正常でした。これ、ほんまかいな? ドロドロ血をどうにか克服すべく、有酸素運動に燃えましょう。

| | Comments (1) | TrackBack (0)