COVID-19 症状

すでに還暦をすぎておりますから、症状はそれなりに出ました。ワクチン接種の機会は一度も逸することなく、ふだんから検温とマスク装着をこころがけていたおかげか、それとも、そうしたことをやっていてもなおか、どちらであるかは不明です。いまになって省みますと、無症者とはほんとうにいるものかと考えさせられます。

アタシの場合では、症状は順番に出てきました。最後のは、出勤停止5日間をすぎ、さらにマスク装着の5日間をすぎても、しつこく残っている症状です。

その1)
すでに書いたとおり、発熱です。職場に提出するために記入していた健康観察表によれば(以下の記述も基本的に健康観察表の記述です)、
発症日=1/5の朝に38.3℃の最高値でした。薬も効いたのか、夕には37.3℃まで下がり、楽になりました。早め、早めの受診と服薬が重要です。その後は一進一退の状態で、翌日1/6朝に37.0℃、夕に36.6℃と平熱になりましたけれど、1/7朝には37.8℃と発症日並みで、ちょっとつらい感覚をおぼえています。とはいえ、やはり薬効はあるもので、夕には36.7℃でした。3日目以降は、低いときで36.4℃,高いときで36.8℃と安定し、現在ではこの4年間ずっと測りつづけてきた数値におさまった状態です。

その2)
つぎに出た症状はのどの痛みでした。これは発熱以前から「ん、ちょっと変かも」と感じていたところもありました。1/6夕からひどくなり、ほかにもいらっしゃると想像しますが、のどが痛いと食事をするのがつらくなります。ふだんは辛いもの好きですけれど、絶対に無理 ヾ(^。^*)まぁまぁ
それでも、薬は食後に設定されていますから、食べないことには飲めません。1/9朝までつづいたのどの痛みのせいで、たぶん、やせ細った気がします。

その3)
のどの痛みとほぼ同時にはげしくなったのが咳でした。この症状は現在でもつづいていますし、最初に罹患した家族も同様です。1/6のころには「こほこほ」くらいであったのが、2日目(1/7)には「ごほごほごほ」、3日目「ごほごほごほごほ、ごほん」、4日目「ごほんごほんごほんごほん、ごほんごほんごほんごほん、ごほん、ごほごほごほごほ」と悪化しました(なんだかよくわからない擬音です)。その後も、換気をしたときや外に出たとき、あるいは、階段や坂をのぼるような呼吸器に負担をかけたときなどに、息切れとともによくでてくる症状です。おかげさまで、就寝中もマスクをしています。

その4)
一方で、健康観察表にありながら、最初期だけでおさまったり、さいわいにして出てこなかったりした症状もありました。熱感は最初期にはありましたけれど(悪寒)、発症0日目でなくなりました。だるさは弱いものを3日目くらいまで感じましたけれども、だるいというよりはずっと寝ていると出てくる凝りみたいなものです。まったくなかったのは、下痢、頭痛、味覚異常、嗅覚異常でした。これから後遺症(Long COVID)として来るかもしれませんけれども、味覚異常だけは食べる楽しみがなくなってしまうので勘弁してほしいところです。

こうした症状を経験しつつ、自分のベッドのある部屋にひきこもった1/5〜1/10(ただし、トイレだけは除きます)、部屋から出て職場に復帰しましたけれども、基本的に職場の個室へとやはりひきこもった1/11〜1/16(ただし、敷地内の屋外や屋内の廊下や階段を歩いて移動するのはどうしようもありません)にアタシはいったい何をしていたでしょうか。(つづく)

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COVID-19 罹患

記事のタイトルのとおりです。2020年3月からひたすらハリネズミ作戦を展開してまいりましたけれども、ついに感染から発症してしまいました。同居している家族がかかると逃げられないものですね。

発症したのは1月4日から5日にかけての深夜でした。何か寒い、やけに寒い、ふとんに入っても悪寒がする、湯たんぽをかかえても冷える、え、どうしちゃったの、という状態です。すでに家族は休んでいましたし、こまちとごえもんに伝言を頼むわけにもゆかず(いや、むしろ、にゃんこさまにうつすわけにはいきません)、困りました。体温計を使ってみると38.3℃を示しましたので、これはついに COVID-19 か、フルーかのどちらかであろうと覚悟をきめたしだいです。やはり、アタシは免疫弱者でした。

翌朝(1月5日)、かかりつけの医院に予約をとって、午前10時とはいえ発熱外来の設定されたのは冷える戸外でしたけれど、それでもていねいに対応してもらい、抗原検査とPCR検査をうけました。前者の結果はすぐにでて、フルーではなくコロナ陽性でした。PCR検査の結果は翌日になるとのことです。しばらく待って6種類の薬をもらい、1万6000円ほどを支払って(ふところまでさむい)帰宅しました。

さぁ、これからが出勤停止、家庭内隔離、ひたすら寝る時間のはじまりです(つづく)。

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世界脳卒中デー(World Stroke Day)

今日10月29日は「世界脳卒中デー」です。公益社団法人日本脳卒中協会のウェブサイトにも毎年、この日の位置づけや企画が掲載されています。2018年の呼びかけはこちらをご覧ください。

さて、アタシも9年ほど前に2か所の脳動脈瘤が未破裂の状態で見つかり、それぞれに異なる方法による手術をうけ、今日まで生きのびてきました。手術じたいの後遺症もなく、率直にいって、幸運であったと自覚しています。ただし、幸運はわけることができません。それでも、自分の経験はわけられるはずですから、これまでも SNS でつぶやいてきました。今年はいままでのつぶやきをまとめて以下に掲載します。これからもつぶやきつづけるはずです。

まずは、2010年のものです。もっとも長くなりました。

今日10月29日は「世界脳卒中デー」と新聞にあった。2年ほど前の11月なかば、職場の指定年齢の脳ドックを受診し、MRI 検査で脳動脈瘤を指摘された。さらに、総合病院で3次元 CT 検査によって2か所めが見つかった。当初、この病気が何をもたらす可能性があるのかさえ、知らなかった。

脳卒中は、脳梗塞、くも膜下出血、脳出血がおもな原因とされる。脳動脈瘤はこのうちのくも膜下出血につながりやすい。未破裂の状態の瘤は自覚症状がほとんどないこともある。しかし、瘤の部分は、いわば変形して弱くなっている部分であるから破れる可能性が高い。

未破裂脳動脈瘤の予防治療は、開頭手術によるクリッピング術と血管にカテーテルを入れておこなう塞栓術とがある。破裂した瘤にもおなじ治療がおこなわれるが、発症後の場合は処置までの時間が問題になる。いったん死亡した脳細胞は生きかえらないので、重篤な障害がのこる可能性は高い。

未破裂、すなわち、発症していない段階であれば、手術に必要な検査をおこない、瘤の位置を特定したうえで治療が可能である。そして、脳動脈瘤を発見できるのは現在のところ、脳ドックを受診するしかない。はげしい頭痛などの症状があれば、検査の機会を待たずに脳神経外科を受診するべきである。

症状がまったくない状態で病気を指摘されたとき、正直なところ、手術の決断をするまで時間がかかった。いまでも、それが正解であったか、自信はない。それでも、すくなくとも検査はうけるべきであるといいたい。所見がなければそれでよいし、もしも見つかれば、それから考えればよいのだ。

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爆睡の検査

指摘をうけたついでに、別の検査のことも書いておきましょう。

先日に頭部MRIをうけてきました。術後8年がすぎ、クリップの周辺にも、コイルの奥にも、あたらしい瘤の出現はないようです。つまり、指摘はなしでした。主治医の先生も、あとは、不安がのこるのであれば、ドックで検査をうけるくらいでよいです、とおっしゃってくださいました。めでたい (*^^)v

MRIを受診されたことのある方はご存知でしょうが、15分から30分ほど、磁気のトンネルのような機械に入ります。大きな音がするので、以前はただの耳栓的な無音の、今回は音楽が流れるヘッドフォンを装着されました。ただし、結局は目を開けているとまったく光景に変化がないので、確実に眠ります。寝返りはうてません。というか、頭部をうごかすことはほぼ不可能です。

というわけで、今回もすっかり爆睡してしまいました。

ふだんは布団に入っても、ちょっとしてことで目が覚めるのに、こうしたところではあの爆音を聞いていてもぐっすりと眠れてしまうのがとても不思議です。しかも、気分がよい。罪悪感はなし。

有給休暇をとって(ただし、今回は朝いちの会議へは出席した)、トコトコと歩いて病院へいき、寝て、帰りには和菓子屋さんやパン屋さんや文具店に寄って、散歩を堪能しました。城北ネコに会えなかったのは残念ですが、午後の盛りにブラブラするのは、ほんとうに贅沢です。

さて、今度はいつ検査してもらおうかな(なんか、ちがう ヽ(。_゜)ノヘッ?

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指摘をうければ

ひさしぶりに人間ドックで指摘をうけました。2回の手術にいたった脳ドックではありません。40歳をすぎてからほぼ毎年に受診してきたほうです。健康診断のくわしいもの、といえばよいでしょうか。

指摘されるのはあまり気持ちよくない、というのが正直なところです。診察をうけるのはきらいでないですが、原因と結果がはっきりしないのはこまります。つまり、今回のは指摘をうけることになった要因あるいは遠因がよくわからないものでした。とりあえず、いまのところは対症療法的に「休む」「休める」「休ませる」をこころがけることにして、年に一度の別の検査がおわったあたりで「要精検」項目をひとつずつ、つぶしてゆくつもりです。

大好きだった祖母と叔父の亡くなったときの年齢をこえて、父の逝った年齢まで干支1/2まわりとなり、指摘をうければ、あれかな、これかな、それかな、とか。脳神経外科の執刀医=主治医によれば、「ドックの先生方は指摘するのが仕事なのだから」、こまかなところまで見逃さない、とのことでした。たしかこのときは、脳の微細血管から出血した痕跡であったかな。ようするに、あとはうけとめる側しだいでしょう。

ここのところのしばらくは、墓場ネタ、病気ネタ、医学ネタ、死体ネタで勉強をしているので、想像がたくましくなりすぎているのかもしれません。できれば、ストレスをうまく受け流せるようになりたいぜ ( 一一)

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中東遠総合医療センター

昨年の5月末に血管にカテーテルをとおし、造影剤を入れて撮影する検査をうけました。さいわいにして、そのときの結果は良好でしたから、次回の診察は1年後という約束になり、今日はその約束の日です。

オイラが手術をうけたときから、主治医の方の所属する病院はおとなりの市の病院と統合・移転が予定されていました。4年ほど前には 3階東病棟でしたが、おなじ階の西病棟は当時からすでに閉鎖され、 さびれた感じでした。地方の中小都市の公立病院とはこういうものなのか、と妙に納得させられたものです。

今月に二つの病院が一つの組織になり、「中東遠総合医療センター」として出発しました。真新しい建物に、ひろーい駐車場が付属しています。Googleナビに案内してもらいましたけれど、なにせまだ「……(予定地)」で検索されるくらいあたらしい (^_^;)\(・_・)

ちょっと道に迷って予約時間を10分ほど遅刻です σ(^◇^;)
焦っていたためか、受付がおわって指示されたとおりに血圧を測定すると、見たこともない過去最高値(当人比)をたたき出してしまいました。上が150近くってありえないよ(健康診断では高くて120後半くらい)。まわりにずーっと受付で愚痴をこぼしている方とか、順番の掲示板が見えない距離にすわって、何度も何度も確認のためにうろうろしている人とか、精神を毛羽立たせるような人がいたからでしょうか (`_´)

主治医の先生はおかわりなく、大きな声で名古屋弁でした(笑)。そこで衝撃的な話が……。
「そうだね、○○に□□先生(オイラのもうひとりの主治医)がおもどりなったよね。まー、□□先生にMRIとか見てもらえれば安心だで、それでええか。」
「え、あの、それって。」
「そんだで、今日はあたらしい病院を見に来てもらっただけ、みたいになっちまうけど。□□先生には手紙を書いときます。またこっちで協力できることがあれば、いつでもやりますから。」

ということで、新病院は本当にいっただけになってしまいました。
↓見にいった、という証拠写真です。

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はたらいている事務の方や患者さんが新施設になじんでいない感じがして、いろいろとまだ調整が必要でしょう。診察待ちのときのおちつきのなさ、所在のなさ、何となくしっくりこない内装の色づかい、会計の不手際などは改善してほしいです。せっかくの新病院ですから、中東遠地区の拠点として安心できる組織となってください。

帰りは東名高速道路をつかい、昼のミーティングの開始10分前くらいにすべりこみました。あーしんど。

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4年目の検査

昨日、最初の手術(クリッピング)を執刀してくださった先生のいる病院で、MRI の検査を受けてきました。結果は、病変部位に異常なし、です。ひと安心というか、なんというか。

未破裂脳動脈瘤を治療するには、アタシが説明をうけたかぎり、二つの方法があります。ひとつは最初の手術のように頭部をひらいて血管を外からはさむもの、もう一つは2回目の手術のように血管内からアプローチしてコイルを埋めこむもの(塞栓術)です。両方とも何パーセントかの危険はありますし、得手不得手の部位も考えなければなりません。アタシは、右大脳中動脈にクリップを、左内頸動脈にコイルを、という選択をしました(というか、何名かの先生と相談しましたし、自分の希望もあったです)。そのため、(ほぼ?)定期的な検査は2か所の病院にいきますので、ちょいと面倒であったりもします。しかし、堂々と仕事を休めるのはうれしい ( ̄○ ̄;)!

両方の先生とも関係は悪くないと患者としては思っています。治療法も、体格も、話ぶりも、おそらく性格も異なる先生ですが、相談し、身体をあずけられる方々です。こういう幸運にめぐまれたことは、病気になったとはいえ、本当にありがたい、これ以上のことばがありません。

さて、昨日の診察のおり、今後の治療について示唆がありました。クリッピングの場合、わずかな隙間=クリップと血管とのあいだにできるものから瘤が生じることがあるそうです(ごじしんのクリップからそのような事態が生じたことはないが、ほかの方のクリップがそのようになって手術をしたことはあるとおっしゃっていました)。その検査のため、術後5年でもう一度、血管にカテーテルをいれて造影剤による検査をすることにしている。入院をともなうので、断る方もいるが……。
アタシの場合は2年後に検査ということになります。そして、それで問題がなければ、今回の脳動脈瘤の治療は終了になるそうです。

長い戦いにおわりが見えたのかもしれません。う、うれしい (o^-^o)
しかし、あと2年は慎重居士ですごします。
お仕事退散光線!(⊃ ̄ ̄ ̄⌒ ̄)∩〓〓〓〓〓〓★

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世界脳卒中デー

今日10月29日は「世界脳卒中デー」と朝日新聞にありました。記事は脳卒中の6割を占めるという脳梗塞に焦点をあて、予防や発症後の治療について書かれていて、ふだんは考えもしないことですが、気をつけようという気にさせます。いちいち確認はしていませんが、おそらく、いくつかのメディアでもとりあげられているでしょうから、身近なところでさがしてみてください。

アタシは、2年ほど前の11月なかば、職場の指定年齢の脳ドックを受診し、MRI 検査で脳動脈瘤を指摘されました。さらに、正確な検査をするために受診した総合病院での三次元CTによって、2か所めの動脈瘤が見つかったですけれど、その当初は、この病気が何をもたらす可能性があるのかさえ、知らなかったです。

脳卒中は、朝日新聞の記事にあった脳梗塞のほかに、くも膜下出血、脳出血もおもな原因とされています。アタシの脳動脈に見つかった瘤は、このうちのくも膜下出血につながりやすいものです。未破裂の状態の瘤は自覚症状がほとんどないこともあり、じっさい、自分もときおりの偏頭痛のほかには何もありませんでした。とはいえ、瘤の部分は、いわば変形して弱くなっている部分ですので、破れる可能性は高いです。あまり当てになりませんけれど、およそ100人に一人の割合で脳動脈瘤があり、そのさらに100件に1件の割合で発症=破裂するといわれることがあります。

未破裂脳動脈瘤を発症にいたらせないための予防治療には二つ、すなわち、開頭手術によるクリッピング術と血管にカテーテルを入れておこなう塞栓術とがあります。じつは、破裂した瘤にもおなじ治療がおこなわれるですが、発症後の場合は処置までの時間が重要です。いったん死亡した脳細胞はほぼ生きかえりませんから、重篤な障害がのこる可能性は高いです。

それが、未破裂、すなわち、発症していない段階であれば、手術に必要な検査をおこない、瘤の位置を特定したうえで治療をうけることが可能になります。そして、発症していない段階で脳動脈瘤を発見できるのは現在のところ、脳ドックを受診するしかありません。はげしい頭痛などの症状があれば、検査の機会を待たずに脳神経外科を受診するべきである、とアタシは思います。たしかに、症状がまったくない状態で病気を指摘されたとき、正直なところ、手術の決断をするまで時間がかかりました。いまでも、それが正解であったか、自信はないです。開頭手術のあとはのこりますし、カテーテルで入れたコイルは血液の浸潤の心配がありました。それでも、すくなくとも検査はうけるべきであると、声を大にしていいたいです。所見がなければそれでよいし、もしも見つかれば、それから考えればよいのですから。

病気のあいだに読んだ新聞記事の、こうしたことばにも励まされました。

病気はそれを受けとめられる人のところにしかやってこない。

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ありがとうございました

すこし前のことになりますが、造影剤を入れる MRI 検査をうけた病院です。帰りのバスを待っているあいだに撮影したものをデジカメのメモリに入れっぱなしにしていました。そのときの結果についての記事はこちらですでに書いています。4月はじめに退院したときとおなじく、天候は雨でした。でも、どちらの雨もあたたかく感じた……かもしれません (°0°)

20100916

この病院は、2012年末を目指して建設される新病院(隣の市と合同)に移転するとのことです。入院中にも部屋を清掃してくださる方から、「つとめをやめなくちゃならない」とうかがっていました。医師の数の不足というのは、もちろん、あたしの手だしできることではなく、話を聞くたびに無力感をおぼえます。

新病院にも検査を受けにいくのでしょうね、たぶん。

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術後1年と術後4か月

ようやく「年」という単位をつかえます。昨年7月29日の手術から1年がすぎました。「10か月と2か月」を投稿してからは、それぞれの病院に1回ずつゆき、経過について担当医の先生と話をして、頭部の単純レントゲン検査をうけたくらいです。術後1年のほうの病院の先生から「うまくいってよかったですね」といわれるとうれしくもなりますけれど、術後4か月のほうはレントゲン検査だけではわからないこともあるので、9月半ばに造影剤を入れてMRIを撮ることになっています。それで問題がないとなったときに、ようやくひとまず安心ということになるでしょう。

この病気をする前は、検査がとてもいやでした。せいぜい年1回の健康診断(または人間ドック)のときだけで、胸部レントゲンとバリウムを飲んで台の上をころがるレントゲンくらいしかうけていません(いまはもうほかにたくさんの検査をうけたので、「くらい」などという言葉遣いをしてしまいます)。潰瘍になったときは胃カメラを飲みましたが、ピロリ菌を除菌する前後の2回だけでした。四十肩や虫歯治療でもレントゲンを撮りましたが、よくわかってありがたいですけど、簡便なものであったといえるでしょう。入院をはじめとして何度も不調を経験していましたので、身体のなかで悪くなるとすればまずは消化器系と、あきらめと油断の半分ずつでいたところもあります。

はげしい偏頭痛がはじまったのは2003年の春先でした。視界が切れる、とこのウェブログでも何度か書いたものです。ただし、頭痛や視野狭窄は未破裂脳動脈瘤がかならずしも原因ではありません。それでも、アタシの場合は脳ドックを受診する動機づけにはなりました。とりあえず、一度、ときどきどうしようもない痛みを感じる自分の部位についてちゃんと調べてもらいたかったです。頭痛がでた当初は、眼の病気や心身のストレスなども考えていましたが、脳神経外科だけは恐怖が先立って受診することができずにいました。

そして、2008年末、脳ドックで「所見あり」となり、2009年夏の開頭手術&2010年春の塞栓術となったわけです。三次元CTの検査で病気をはっきりとつげられたあと、何度も夜中に目が覚めるようになり(いまでもその傾向はあります)、精神的に非常に不安定だったとき、尚さんが「手術をうけよう」といってくれた夜のことは(たとえ日づけは忘れても ヾ(^。^*)まぁまぁ)光景としておぼえています。夏の手術のとき、手術室の扉が閉まる前、恭さんがその何日か前の試合でみせたのとおなじガッツポーズをしてくれたのも忘れられません。春の手術のときは、一生さんが駅から病院までひとりで文字どおり駆けつけてくれました(残念ながら、すでにアタシは麻酔で眠っていましたが)。家族や友人、同僚のささえ(「気」)があって、いまここにいることができると思います。

たしかにアタシはいろいろな意味で幸運でした。でも、脳ドックを受診しなかったら、精神的な苦しみはなかったでしょうけれど、この幸運もなかったでしょう。術後1年がすぎて思います。偏頭痛などがある方は(ない方も)検査をうけるべきです。場所が場所だけに、発症してしまったら手遅れになる可能性が高いのですから。

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